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セイバーメトリクスの視点で見るNPB歴代最強打者ランキング ~7位-10位~

2021/02/27

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Getty Images, DELTA・道作

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 昨年の5月から「セイバーメトリクスの視点から過去の打撃ベスト10を振り返ろう」の企画では、各年度の打撃10傑を取り上げきた。すでに1936年から2020年まで、日本プロ野球の歴史を貫通させている。ただ企画はこれで終わらない。ここではランキングに使用した指標wRAA(※1)を選手ごとに合算し、日本プロ野球オールタイムの最強打者ランキングベスト50をカウントアップ方式で紹介していく。
 

 
 またランキングはシーズン合算で行っているため、日本で長く現役生活を送った選手が有利となる。現役選手や、キャリアの中でMLB挑戦を試みた選手、外国人選手にとっては不利なランキングだ。そこで短期間に集中した残された実績、全盛期の活躍を評価するため、各選手のキャリアベスト5年、ベスト10年で見た場合のwRAAランキング順位も併記した。歴史的名選手の最盛期のピークがどれだけ高いものだったのかも、通算ランキングとあわせて楽しんでほしい。
 
(※1)wRAA:リーグ平均レベル(0)の打者が同じ打席をこなした場合に比べ、その打者がどれだけチームの得点を増やしたかを推定する指標。優れた成績で多くの打席をこなすことで値は大きくなる。データ算出は筆者。
 

 

7位:山本浩二(1969-1986年)

 

wRAA通算:528.8 ベスト5シーズン:14位 ベスト10シーズン:7位
 
 7位は「ミスター赤ヘル」山本浩二となった。入団時にはさして強力な攻撃力を示していたわけではないが、キャリア後半にリーグを代表する豪打を見せた。球団が低反発球を使用していたキャリア前半から、後半に高反発球に変更したのが最大の原因で、20代後半にピークを迎えるとされるデータ分析の常識とはかけ離れたスタッツを残している。もし一貫した環境のもとでプレーしていたら、どのような成績になっていたかが気になる選手である。8位で取り上げる門田博光と事情が似ている。

 山本は同学年の衣笠祥雄と並び、長期間にわたって広島を支えた。山本は18年、衣笠は23年、ともに入団してから引退まで広島一筋でプレーしている。同学年にもかかわらず、それぞれが年間で最も優れたwRAAをマークしたのは、衣笠が1971、1972年、山本が1980年、1981年と10年近くずれているのは興味深い。同時代に全盛期を迎えた掛布雅之と分け合う形で長打率が3度、出塁率で2度リーグ首位となっている。
 
 当時は読売戦が全国テレビ中継されていたことでセ・リーグは他5球団の選手でも一定の知名度があった。また1976年に「プロ野球ニュース」が開始。全盛期のプレーの様子を全国で見せられたという点で、メディア露出の面で不遇だった山内一弘・野村克也に比べれば幸運であった。地方球団の所属であっても知名度・認知度に不自由しない時代が来ていたのだ。
 
 ちなみに入団時の山本はスピードが特徴の選手だったように見える。1年目から不動のセンターを務め、特に若い時期には守備指標Relative Range Factor(※2)でリーグトップを争う守備力を見せている。
 

8位:門田博光(1970-1992年)

wRAA通算:521.5 ベスト5シーズン:21位 ベスト10シーズン:15位 
 
 8位は南海などでプレーした「不惑の本塁打王」門田博光となった。門田は前述した山本浩二と同様に、球団の使用球の影響を被った選手である。特に1978年ごろの本拠地・大阪球場は、同リーグ他球場の1/3程度しか本塁打が出ない極端な環境であった。

 アキレス腱負傷でほぼ棒に振った1979年と合わせ、2年間は不振に終わったものの、それ以外のシーズンは満遍なく20~30点台の優れたwRAAを記録。短期間での爆発的な活躍というよりは、安定した打撃成績を長く続けたことにより、通算ランキングで8位に入った。出塁率、長打率、wRAAはすべて3度ずつリーグ首位を獲得している。
 
 キャリア後半にあたる1980年以降は1480試合中守備に就いたのが88試合と、指名打者専業に近い状態であった。ちょうど門田の現役途中で指名打者ルールが導入されたが、導入時点ではこのルールに救われることになるとは思ってもいなかっただろう。
 
 ちなみに門田は1979年のアキレス腱断裂が指名打者転向の原因とされることもある。しかし1978年までの9年間は1072試合出場したうち997試合で外野の守備についている。守備指標Relative Range Factorでも補殺数でも、右翼手として水準以上の成績を残していたようだ。しかし故障前年の1978年にはすでに、106試合中外野守備についたのはわずか46試合となっている。アキレス腱断裂の前年からすでに指名打者へのシフトは始まっていたようだ。故障だけが指名打者転向の原因ではない。
 
 門田が大きな負傷を抱えながらも23シーズンにわたるプロ生活を全うしたことは、指名打者制の「功」の一面と考える。
 

9位:川上哲治(1938-1958年)

wRAA通算:519.7 ベスト5シーズン:33位 ベスト10シーズン:14位
 
 9位は、「打撃の神様」川上哲治となった。ONの出現以前では強打者と言えば、藤村富美男、大下弘とともに、この川上も代表格として扱われていた。wRAAは3年連続で1位を獲得するなど、戦前に最も優れた数字を記録した。戦後の1948年に一度1位を獲得しているが、2リーグ制になった1950年以降1位となったシーズンはなかった。

 川上は1939年の19歳シーズンから3年連続でリーグ1位となった。しかしこの時期のNPBは非常に選手層が薄く、wRAAが伸びやすい環境にあった。また戦後には飛ぶボールの導入や、リーグのエクスパンション(球団数拡張)によりレベルの低い選手が大量に加わった状況でプレーしており、wRAAが伸びやすい環境は戦前だけではなかった。
 
 ただ一方で川上は戦争により3シーズンを棒に振り、wRAAを伸ばすチャンスを失っている。wRAAを伸ばしやすい環境と、伸ばせない環境。たがいに効果を打ち消しあう2つの環境でプレーをしており、この観点で見た場合、正直なところ評価の難しい選手である。ただしこれらの時代を生き残ったのは、川上が高い基礎能力や適応力、精神的なしぶとさをもっていたからだろう。1949-1950年の飛ぶボールが使われた時代ではなく、それ以前、以降で優れた傑出を見せたあたり、飛ばないボールの方により適性があったと考えられる。
 
 1939年、プロ野球は春秋2シーズン制を廃して、年間を1シーズンとする現代型のスケジュールとなった。この初年度の首位打者・打点王が川上で(この時の数字はそれぞれ5年後・7年後まで最高記録で残った)、1948年には歴代最多本塁打記録25本をマークしている。一時的にではあるが、川上は打撃3部門ともに歴代最高を経験したことになる。
 

10位:清原和博(1986-2008年)

wRAA通算:508.6 ベスト5シーズン:36位 ベスト10シーズン:19位
 
 10位は西武、読売などで活躍した清原和博となった。成績を落とした引退間際が印象に残っている人にとっては、歴代ベスト10入りがやや意外な結果と感じられるかもしれない。今回の企画は得点生産の積み上げを通算したものであるため、継続の力が結果を大きく左右することの好例である。

 清原は高卒1年目にしてリーグ屈指の強打者レベルとなるwRAA30のラインをクリア。以後毎年成績を伸ばし、4年目、5年目にはリーグ首位の成績となった。この間、高卒5年目までのトータルは196.5となったが、ほかにこのラインに到達した選手は中西太が1人いるのみであった。この後散発的に負傷のシーズンはあったものの、デビュー18年目の2003年でもなおwRAAは20を超えており、最終的に通算wRAAは508.6と極めて大きなものとなった。
 
 現役を通じて大きな武器となったのは、長打力よりも出塁能力だった。最高長打率となったのは1回だけだが、最高出塁率は2度獲得している。通算1346四球は歴代4位。通算196死球と1955三振は歴代1位であった。
 
 清原は、西武グループの威信が頂点に達しつつある時期に1位指名で入団。オーナーは1987年から1994年の間に6回、フォーブスの世界長者番付1位となった。豊富な資金力に支えられたチームは歴代最強との呼び声もあり、清原在籍中に8回優勝を飾っている。オーナーや清原のその後の運命は今昔の感がある。
 
(※2)Relative Range Factor::9イニングあたりの刺殺・補殺の数によって野手の守備力を評価するRange Factorを発展させた指標。一般的な野球の記録から算出することができるため、過去の野手の守備を評価する際に用いられることが多い。
 
DELTA・道作
 
 
DELTA@Deltagraphshttp://deltagraphs.co.jp/
 2011年設立。セイバーメトリクスを用いた分析を得意とするアナリストによる組織。書籍『プロ野球を統計学と客観分析で考える デルタ・ベースボール・リポート1~3』(水曜社刊)、電子書籍『セイバーメトリクス・マガジン1・2』(DELTA刊)、メールマガジン『1.02 Weekly Report』などを通じ野球界への提言を行っている。集計・算出した守備指標UZRや総合評価指標WARなどのスタッツ、アナリストによる分析記事を公開する『1.02 Essence of Baseball』(https://1point02.jp/)も運営する。
 
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