大谷翔平選手をはじめとした日本人メジャーリーガーを中心にメジャーリーグ・日本プロ野球はもちろん、社会人・大学・高校野球まで幅広いカテゴリーの情報を、多角的な視点で発信する野球専門メディアです。世界的に注目されている情報を数多く発信しています。ベースボールチャンネル



セイバーメトリクスの視点で見るNPB歴代最強打者ランキング ~7位-10位~

2021/02/27

text By

photo

Getty Images, DELTA・道作



9位:川上哲治(1938-1958年)

wRAA通算:519.7 ベスト5シーズン:33位 ベスト10シーズン:14位
 
 9位は、「打撃の神様」川上哲治となった。ONの出現以前では強打者と言えば、藤村富美男、大下弘とともに、この川上も代表格として扱われていた。wRAAは3年連続で1位を獲得するなど、戦前に最も優れた数字を記録した。戦後の1948年に一度1位を獲得しているが、2リーグ制になった1950年以降1位となったシーズンはなかった。

 川上は1939年の19歳シーズンから3年連続でリーグ1位となった。しかしこの時期のNPBは非常に選手層が薄く、wRAAが伸びやすい環境にあった。また戦後には飛ぶボールの導入や、リーグのエクスパンション(球団数拡張)によりレベルの低い選手が大量に加わった状況でプレーしており、wRAAが伸びやすい環境は戦前だけではなかった。
 
 ただ一方で川上は戦争により3シーズンを棒に振り、wRAAを伸ばすチャンスを失っている。wRAAを伸ばしやすい環境と、伸ばせない環境。たがいに効果を打ち消しあう2つの環境でプレーをしており、この観点で見た場合、正直なところ評価の難しい選手である。ただしこれらの時代を生き残ったのは、川上が高い基礎能力や適応力、精神的なしぶとさをもっていたからだろう。1949-1950年の飛ぶボールが使われた時代ではなく、それ以前、以降で優れた傑出を見せたあたり、飛ばないボールの方により適性があったと考えられる。
 
 1939年、プロ野球は春秋2シーズン制を廃して、年間を1シーズンとする現代型のスケジュールとなった。この初年度の首位打者・打点王が川上で(この時の数字はそれぞれ5年後・7年後まで最高記録で残った)、1948年には歴代最多本塁打記録25本をマークしている。一時的にではあるが、川上は打撃3部門ともに歴代最高を経験したことになる。
 

1 2 3 4 5