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川相昌弘、ドラフト4位の肖像#3――「おー荒木大輔かと思って見てましたね」

ドラフト四位指名―ドラヨンに結果を残している選手が多い。ドラフト一位指名は、その時点で同年代の野球少年の最前列にいると認められたことになる。その意味で、ドラヨンは、二列目以降の男たちとも言える。そんな“ドラヨン”で入団した野球選手を追った本日10/16発売の新刊「ドラヨン」から一部抜粋で公開する。

2019/10/16

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田崎健太



全ての公式戦で完投。招待試合では「だいたい一試合半は投げていた」

 一○月から県高校野球秋季大会兼中国大会予選が始まった。岡山南は作陽、そして準々決勝で倉敷工業を共に七回コールド勝ちしている。
 
 今では考えられないのだが、準々決勝の翌日に準決勝と決勝の試合が組まれていた。朝九時から準決勝、そして午後二時半から決勝戦だった。岡山南は準決勝の水島工業戦を四対二、決勝の津山戦は六対〇で勝利した。川相は全試合を投げきっている。
 
 県大会の後、またも肩の力が入らなくなったという。
 
「学校で投げようと思ったら、力が入らない。前と一緒。投げすぎですね」
 
 翌年の選抜出場権のかかった中国大会の一週間前から川相は肩を休めるため球を握っていない。
 
「投げるなって言われて、ノースロー。またもぶっつけ本番です」
 

 
 一一月三日、広島県二位の広陵を下し、翌四日に準決勝で島根県一位の浜田と対戦している。浜田戦は延長一○回までもつれ、三対二で勝利。決勝はまたもや同日行われている。相手は広島県一位の尾道商業だった。
 
〈右肩を痛め、鎮痛剤を服用して連投にいどんだ岡山南・川相と尾道商打線の対決が一つの焦点となった。この勝負、明らかに不利と思えた川相が七割方カーブを駆使し、巧みなコンビネーションで尾道商打線を切って取り、見事栄冠を手中に収めた。速球を武器に攻め一辺倒の本来の力強さこそなかったが、ピッチングをがらりと変えての栄冠は川相だけでなく、バッテリーの今後の大きな糧になったに違いない〉(『山陽新聞』一九八一年一一月五日)
  
 肩に変調をきたしている高校生投手が変化球中心の配球を余儀なくされたことを〈今後の大きな糧〉になると評することに、時代を感じる。当時は選手の体調管理という概念が薄かった。川相によると自分が主戦投手になってから、全ての公式戦で完投していたという。
 
「甲子園とか出ると他県から招待試合に呼ばれますよね。一試合目はぼくが完投。二試合目は最初、外野を守っているんですよ。それでピンチを迎えると、監督から〝おーい〞って呼ばれて投げる。だいたい一試合半は投げていたことになりますね」
 
 ともかく、中国大会の優勝により、岡山南は翌春の甲子園の出場権を手に入れた。
 

 
田崎健太 たざき・けんた
1968年3月13日、京都市生まれ。ノンフィクション作家。
早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。スポーツを中心に人物ノンフィクションを手掛け、各メディアで幅広く活躍する。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』、『ドライチ』『ドラガイ』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』(集英社インターナショナル)
『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)など。
 

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