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甲子園優勝だけがすべてじゃない…球界を代表するトップスター5人の「高校最後の夏」は?

2022/08/16

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産経新聞社



松井秀喜(星稜)


 
出身:石川県
投打:右投左打
身長/体重:186cm/95kg
生年月日:1974年6月12日
ドラフト:1992年ドラフト1位

 
 星稜高校の4番として、読売ジャイアンツの4番として、数々のアーチを描いた松井秀喜。ジャイアンツに在籍した10年間で332本塁打、メジャーリーグでは175本塁打を記録した天性のスラッガーだった。星稜ではなく小松明峰に進学する可能性もあったというが、山下智茂監督(現在は名誉監督)の惚れ込みで星稜への入学を決めた。
 
 高校1年生から4番に座った松井は、高校通算で60本塁打を記録。現在はソフトバンクホークスで活躍する松田宣浩、中村晃と同じ本数だ。しかし、松井が1年生の夏(1990年)の甲子園大会では、日大鶴ヶ丘との試合でヒットを打てずに敗退。その後、人知れず努力を重ねて、松井は高校球界を代表するバッターとなったのだ。
 

 
 松井の最後の夏は、高校野球ファンであればご存知の方も多いはず。1992年、明徳義塾との試合で5打席連続敬遠となり、松井は一度もバットを振ることができなかった。明徳の先発ピッチャーの河野和洋(現:帝京平成大学監督)は、ベンチ前での投球練習中に観客から脅迫めいた言葉をかけられたという。
 
 社会問題にまで発展した5打席連続敬遠だが、松井は後にTV番組のインタビューで河野と再会した。そして、河野が松井に「日本のスターですから」と発した後、松井は「君のおかげだよ」と返していた。この騒動が、松井がスターになるきっかけだったと言えるだろう。

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