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【WBC2023コラム】“大健闘”の中国代表、世界一を目指す野球日本代表「侍ジャパン」から得た“価値あるもの”

2023/03/10

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真砂勇介が中国代表入りを決意した経緯

 また、昨季限りでソフトバンクを退団した28歳の右打ち外野手・真砂勇介(日立製作所)の存在も不気味。元同僚の甲斐や周東の特徴をよく知っている。
 
 真砂は京都府生まれの日本国籍だが、両親が中国出身ということで出場資格を満たした。中国代表は過去4大会とも本大会に出場したものの、いずれも1次ラウンド敗退。東京五輪は最終予選を辞退して本大会に出場することもできなかった。そうした歴史があるだけに、昨季まで10年間、NPBのソフトバンクでプレーした真砂には中国代表の主軸として大いに期待されている。
 

 
 ただ、真砂はソフトバンクの10年間で通算180試合、46安打、3本塁打と実績を残せたわけではなかった。
 
 真砂は2012年ドラフト4位で西城陽高(京都)からプロ入り。甲子園出場経験はなかったが高校通算52本塁打に加えて、遠投100メートル超の強肩や50メートルで6秒を切るともいわれた俊足が武器だ。「秋山幸二2世」などと呼ばれた時期もあった。
 
 そんな男に「ミギータ」なる愛称がつけられたのは2016年の春季キャンプ。この前年にトリプルスリーを達成した柳田悠岐がシーズンオフに手術を受けた影響で二軍での調整を行っていた。柳田は三塁側ベンチ前から、そして真砂は一塁側からそれぞれ外野に向かって同じタイミングでロングティーを行うと、打球の勢いも飛距離もほぼ互角。それを見た当時二軍打撃を担当の藤本博史コーチ(現監督)が「オマエすごいな。右のギータ、ミギータや」と驚嘆の声を上げたのがキッカケだった。
 
 また、その年の秋には一軍初出場より先に「侍ジャパン」デビューを果たした。メキシコで行われた「第1回 WBSC U-23ワールドカップ」に参戦。そして、ソフトバンクの二軍でも経験がなかった「4番」を任された。
 
 この時、侍ジャパンU-23代表を率いた当時の斎藤雅樹監督から「中心としてやってもらわないといけない選手」と大きな期待を寄せられ、大会の全9試合で4番を張った。スーパーラウンドの韓国戦では同点本塁打を左翼席最上段へ叩き込み、決勝のオーストラリア戦でも大会4本目となるアーチ。真砂の活躍で侍ジャパンU-23代表は初代王者に輝き、真砂は大会MVPとベストナインに選出された。
 
 しかし、ソフトバンクに戻れば、強力な外野陣に割って入ることができず、レギュラーどころか一軍定着すら果たせなかった。柳田が不動のセンターで、中村晃がレフト、残るライトを守ったのは真砂の1学年下の上林誠知。ほぼ同年代のホープが出現したことで、真砂にはチャンスがなかなか巡ってこなかったには不運だった。
 
 それでも、二軍では好成績を残し、2019年にはウエスタン・リーグ盗塁王を獲得した。
 すると2020年、プロ8年目のシーズンになってようやく一軍出場機会が増え出し、翌2021年には自己最多の79試合に出場している。
 
 しかし、2022年には出場機会を減らし、同年オフに戦力外通告を受けた。球団からはセカンドキャリアを用意する旨を打診したが、本人はNPBでの現役続行を視野に12球団合同トライアウトを受験。結果、NPB他球団からのオファーはなかったものの、複数の社会人やクラブチームからのオファーの末に、日立製作所に加入。
 
 その直後に、WBC中国代表入りの打診を受けたものの、代表チームに参加することで同部の春季キャンプへ参加できなくなることから、結論を出すまでには時間を要した。
 
 結局、「WBCに出られる経験はなかなかないので、挑戦したい」「中国は『発展途上の国』だと思うので、自分が力になるのであれば手伝いたい」「両親の出身国である中国に注目しながら大会を楽しんでほしい」との思いが強く、中国代表入りを決心。同プールに日本が入ったことで、そのモチベーションは最高潮だ。

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