大谷翔平選手をはじめとした日本人メジャーリーガーを中心にメジャーリーグ・日本プロ野球はもちろん、社会人・大学・高校野球まで幅広いカテゴリーの情報を、多角的な視点で発信する野球専門メディアです。世界的に注目されている情報を数多く発信しています。ベースボールチャンネル



読売ジャイアンツ(巨人)、歴代助っ人外国人選手ランキングトップ5<野手編>

2023/11/04

text By

photo

産経新聞社



第5位 ロベルト・ペタジーニ

左投左打
内野手・外野手
在籍期間 2年(2003〜2004)
成績 217試合、打率.305、218安打、63本塁打、165打点、3盗塁
 
 同ランキングのヤクルト編でもランクインを果たしたペタジーニ。巨人でもその打力は健在で、強力打線の一角を担った。
 
 ベネズエラ出身、身長185センチ、体重84キロ。アントニオホセ大から、1990年にヒューストン・アストロズと契約。94年に同球団でメジャーデビューし、以降サンディエゴ・パドレス、ニューヨーク・メッツ、シンシナティ・レッズでもプレーしたが、マイナー3Aクラスと行き来し、メジャーに定着することはできなかった。
 

 
 1999年シーズンからヤクルトでプレー。本塁打王2度、打点王と最高出塁率1度のタイトルに加え、一塁守備にも定評がありゴールデングラブも3度受賞(2000~2002年)。MVPにも輝いた実績を引っ提げて、ジャイアンツへ加入した。
 
 移籍1年目は、清原和博がファーストを守ったため主にレフトに就いた。慣れない外野守備の影響や、左ひざの故障で規定打席に到達しなかったものの、打率.323、34本塁打、81打点をマークする活躍を見せた。規定打席に不足する分をすべて凡打として扱った上でも、出塁率、長打率はリーグトップの数字で、“歴史上最強の規定打席不足打者”であった。
 
関連記事:セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~2003年編~
 
 2年目の04年は、ファーストで清原和博との併用となり、規定打席には達したものの、来日後自己最低となる打率.290、29本塁打の成績。高い年俸もネックとなり、同年いっぱいで退団した。
 
 その後は、メジャーリーグに戻るも、来日前同様に多くの出場機会を勝ち取ることができず。メキシカンリーグ、韓国球界を経て、福岡ソフトバンクホークスでNPB復帰を果たし活躍したが、全盛期には遠く及ばない数字で、在籍は1年限りとなった。

【次ページ】第4位
1 2 3 4 5 6