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「前例なき二刀流」大谷が取り戻した眼光。あれから5年、日本ハムが与えた新たな夢

ロサンゼルス・エンゼルスに入団した大谷翔平選手。きょう25日、5年間を過ごした北海道日本ハムファイターズの本拠地・札幌ドームでファンへ向けた記者会見に臨む。高校時代に一度はメジャー挑戦を表明しながら、日本プロ野球の道を選んだ。5年間、前例のない“二刀流”を貫き、ようやく海を渡る大谷の想いはどう変化したのか。

2017/12/25

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前例なき“二刀流”、大谷の心に積もった5年分の想い

 同年のドラフトで日本ハムから1位指名を受け、栗山英樹監督の熱意に折れた大谷は入団を決めた。揺れる心中はあっただろう。しかし、栗山監督、いや、日本ハム球団が提示した一つの挑戦に、大谷は立ち向かうことを決めた。
 
 それが“二刀流”だ。
 
 彼が日本球界に一石を投じた二刀流への挑戦は、今さら多くを語る必要もないだろう。
 
 プロ1年目の5月にプロ初登板。2戦目の中日戦で初勝利。3戦目の広島戦が交流戦であったため「5番・投手」として二刀流デビューを果たす。2年目には24試合に先発、11勝を挙げると、打者としても10本塁打をマーク。3年目の2015年は打者としての活躍こそできなかったものの、15勝5敗、防御率はリーグトップの2.24を記録し、投手3冠を達成した。
 
 2016年は、規定投球回数には達しなかったが、投手としては10勝4敗、防御率1.86。打率.322、22本塁打の好成績を残し、リーグMVPに輝いた。
 
 高校時代の大谷が心に思い描いていたのは、メジャーリーグ行きと「前例のないこと」への挑戦だった。いま、それが形を変えてメジャーリーグでの「二刀流の成功」となったわけだ。エンゼルスの入団会見で彼の眼差しに強さが戻ったのは、5年分の決意の重みがったからに他ならない。
 
 2017年が明けたころ、大谷が語っていた言葉を思い出した。
 
 「自分が現役でいるうちは、トップであり続けたいという想いはあります。そのトップとは世界のトップです。まったく人種も異なれば、プレーしている国、国籍も関係なく、ただ単に野球をやっている人たちの目標とされるような選手になりたい。少なくともイチローさんは、野球をする人たちにとってそういう存在だと思います。自分もそうなっていきたいです」。
 
 前例のないことを誰かが果たすことで、野球界のレベルは上がる。その先駆けの選手になるという高校時代に馳せた想いはいまも色あせていない。
 
 5年分の想いをのせて、大谷の新たな挑戦が始まる。

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