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辻内崇伸、ドラフト1位の肖像――1試合19奪三振を記録した05年夏「ホンマにあれ、奇跡なんですよ」【連載第2回】

かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。

2016/10/23

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辻内2

下半身・体幹の強化で気づけば球速アップ

「辻内っ!」

 大阪桐蔭の監督、西谷浩一の声がしばしばグラウンドに響いた。

 2003年、3年生が去り新チームとなった後、1年生の辻内崇伸はようやくグラウンドの中で練習ができるようになった。

 辻内はこう振り返る。

「新チームになって、なぜか監督に目をつけられたんです。イジりやすかったのかもしれませんけど、良く名前を呼ばれてランジトレーニングをやらされましたね」

 ランジとは、片足を踏み出し、もう一つの足を曲げて腰を落とすトレーニングのことだ。下半身全体の筋肉、体幹の強化になる。

「あと、両足でネットをジャンプするという練習。最初は(ネットに)躓いてこけていたんですけど、そのうちに50回とか飛べるようになった。元々跳躍力がなかったんです。監督の西谷さんはそれを見抜いていたのかもしれません」

 こうした下半身の強化が功を奏したのか、球の速度がある日、10キロ速くなったという。

「なんか知らんのですけれど、ピッチングをしたら、俺、こんなに速かったっけ、みたいな感じで。へっ?っていうぐらい球のスピードがあがった。140キロぐらい出るようになっていたんです」

 そして、チーム内での辻内の立場が少し上がった。

「ボールボーイに出世したんですよ。遠征とかに帯同して、先輩のお世話をする(役割)。それで2年生の春からメンバーに入って、試合に投げ始めたんです」

 高校2年の春、大阪桐蔭は選抜高等学校野球大会に出場、2回戦でダルビッシュ有を擁する東北高校と対戦し、敗れている。

 しかし、大阪桐蔭の選手層は厚く、辻内はベンチにも入れなかった。

【次ページ】中田翔との出会い

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