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六大学のスター田淵がデビュー セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1969年編~

2020/07/21

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Getty Images, DELTA・道作



1969年のパ・リーグ

チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点差
阪急  130 .603 543 463  80
近鉄  130 .589 482 418  64
ロッテ 130 .561 555 475  80
東映  130 .449 488 502  -14
西鉄  130 .405 418 507  -89
南海  130 .397 409 530  -121
 

 
 wRAAで52.2を記録した長池徳二(阪急)が1位となった。41本塁打101打点で二冠王を獲得。長打率は2位に6分6厘の圧倒的な大差をつけた。積極的に打って出るスタイルもあって出塁率は.388で2位にとどまったものの、wRAA及び1打席あたりの得点貢献を示すwOBA(※3)ではかなり差をつけた1位となった。2位は首位打者を獲得し、出塁率.421でリーグをリードした張本勲(東映)。ここまで9年連続ベスト3入りの記録を継続中だ。

 3位にはwRAA34.9を記録した永淵洋三(近鉄)の名前が新たに入った。漫画「あぶさん」の主人公・景浦安武のモデルとなった選手だ。この年は打率.333で張本と首位打者を分けあったほか、本塁打も張本と同数の20、三塁打を8本記録するなど長打力も発揮していた。4位・5位には土井正博(近鉄)、大杉勝男(東映)と常連が入ったが、6位にはまたニューフェイス、新人の有藤通世(ロッテ)がランクイン。さらに8位の基満男(西鉄)と10位の池辺巌(ロッテ)も初のランクインと、若い新顔の進出が印象的なベスト10になった。
 
 ベスト10圏外で取り上げたのは、近鉄のジムタイル(本名ジム・ジェンタイル)。1961年、ベーブ・ルースのシーズン本塁打記録を破ったロジャー・マリスは141打点で二冠王となったが、このときに同数で打点王のタイトルを分け合ったのがこのジムタイル(.302、46本塁打)であった。この年のジムタイルのOPS1.069はマリスを上回りミッキー・マントル、ノーム・キャッシュに続くリーグ3位であった。
 
 ただし日本では膝の負傷のためほぼ走れず、代打での起用が多くなっていた。5月には本塁打を放った直後に肉離れを起こし、ベース一周ができずに代走が起用されたこともあった。さらに出塁のたびに代走が出される状態になったため、通算で8本塁打ながら7得点、本塁打より得点の方が少ないという珍記録を打ち立てる。塁上から走って生還したことが一度もないこともまた意味しており、今後まず再現されない記録であろう。結局100打席程度の出場であるため、多くを期待できなさそうな状況だが、打席では予想外の健闘を見せている。wOBAは.368で、6位有藤と7位アルト・ロペス(ロッテ)の間に相当。走れないと馬鹿にしたところで、打席中ではかなり厄介な相手だったのだ。たった1本、二塁打があるが、バウンドしてのフェンス越えだったのかどうかが気になる。四球16のうち半分は敬遠だった。
 
 この年は近鉄が絶好調で、王者・阪急を追い詰めていた。優勝争いは最後までもつれ、ゲーム差なしで迎えたシーズン最後の4試合は直接対決の阪急vs近鉄。近鉄はこの4試合の頭から3連敗を喫して2ゲーム差でペナントを失うわけだが、最後の数試合は優勝の可能性が消えるまでスクランブルでジムタイルが先発出場していた。最初の出塁の時点で代走を出す、1打席でも多く打ってもらうといったアメフト風の采配になっていたそうだが、普段は代打で出てくるだけでいっぱいの彼がこの状況で先発してくるというのは近鉄ファンにとってファイナル感が半端ではなかったのではないだろうか。策士であった当時近鉄の三原脩監督に何となく似合いそうな選手だ。

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