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新人・広岡達朗が登場 セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1954年編~

2020/06/09

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Getty Images, DELTA・道作



1954年のセ・リーグ

チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点差
中日  130 .683 510 376  134
読売  130 .636 613 385  228
大阪  130 .555 569 425  144
広島  130 .448 419 581  -162
国鉄  130 .430 434 518  -84
洋松  130 .250 365 625  -260
 

 
 来日当初から能力の高さを見せていた与那嶺要(読売)がwRAA55.6を記録。4年目にして初のリーグ1位となった。それも2番手をかなり引き離しての首位である。この55.6は1950年以後ではセ・リーグ最高の記録。勝利換算(※2)は6.1と、与那嶺の打撃だけでチームのゲーム差を6つ改善(勝を6増加、敗を6減少)したと考えることができる。

 この年、パ・リーグの西鉄とともに中日も初優勝を遂げたが、中心となったのが2位の西沢道夫である。西沢はこのとき33歳でwRAA38.2を記録。wRAA30.7で6位となった打点王の杉山悟とともに、自身のキャリアがピークを過ぎる前になんとか優勝に間に合ったかたちだ。ほかにも本塁打王の青田昇(洋松)をはじめ、この時期は前世代の有力選手がまだ力を残している時期である。
 
 4位にランクインした広岡達朗(読売)はwRAA32.1を記録。新人ながらこの年がキャリアで最も良好な打撃成績を残したシーズンとなった。広岡は後年の監督時代、打撃のみに特化した長打型の選手に手厳しい様子があった。しかし自身のキャリアを見ると長打力によってほかの選手に大きな差をつくっていたようだ。自身の主義主張とは逆になっている点が面白い。
 
 10位の箱田弘志(国鉄)はこの時代に散見された極端に四球の取れないタイプの打者だ。この年も483打席で12四球と歴史的な四球の少なさ。早打ちによりカウント自体が深くなることが少ないので、三振も33と少ない。プレーの現場では四球が取れていないことが意識にのぼりにくく、得点生産能力の実態と印象にギャップがあることが多い。
 
 ベスト10圏外では、11位に入ったニューフェイスの田宮謙次郎(大阪)を取り上げた。もともとは投手に軸足を置いた二刀流選手だったが、1952年に野手に専念。1956年には与那嶺とリーグ首位を争う存在になる。転向が奏功したようである。このころは球界全体のレベル向上に伴い、投手・野手どちらかに絞らないと立ち行かなくなっていた。そうした時代状況を反映したキャリアを送った選手の一人である。
 
(※1)wRAA:リーグ平均レベル(0)の打者が同じ打席をこなした場合に比べ、その打者がどれだけチームの得点を増やしたかを推定する指標。優れた成績で多くの打席をこなすことで値は大きくなる。
(※2)勝利換算:得点の単位で表されているwRAAをセイバーメトリクスの手法で勝利の単位に換算したもの。1勝に必要な得点数は、10×√(両チームのイニングあたりの得点)で求められる。
(※3)wOBA(weighted On-Base Average):1打席あたりの打撃貢献を総合的に評価する指標。
(※4)平均比:リーグ平均に比べwOBAがどれだけ優れているか、比で表したもの。
 
DELTA・道作
 
DELTA@Deltagraphshttp://deltagraphs.co.jp/
 2011年設立。セイバーメトリクスを用いた分析を得意とするアナリストによる組織。書籍『プロ野球を統計学と客観分析で考える デルタ・ベースボール・リポート1~3』(水曜社刊)、電子書籍『セイバーメトリクス・マガジン1・2』(DELTA刊)、メールマガジン『1.02 Weekly Report』などを通じ野球界への提言を行っている。集計・算出した守備指標UZRや総合評価指標WARなどのスタッツ、アナリストによる分析記事を公開する『1.02 Essence of Baseball』(https://1point02.jp/)も運営する。
 

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