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セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1953年編~

2020/06/06

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Getty Images, DELTA・道作



1953年のパ・リーグ

チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点差
南海  120 .597 541 433  108
阪急  120 .563 488 403  85
大映  120 .543 405 392  13
西鉄  120 .483 487 477  10
毎日  120 .475 455 459  -4
東急  120 .427 360 480  -120
近鉄  120 .410 369 461  -92
 

 
 高卒2年目の中西太(西鉄)がリーグを席巻した年である。この年はすでにラビットボール時代が終わり、飛びにくい低反発球が使用されていた。そんな時代にあって中西が記録した36本塁打はかなり突出した長打力である。また同じ西鉄の新人・豊田泰光も27本塁打をマーク。これは高卒新人の記録としては清原和博(西武)が31本塁打を放つ1986年まで破られなかった。この年のパ・リーグで20本塁打以上を記録したのは中西と豊田の2人だけである。

 また、22歳の岡本伊三美(南海)が打率.318を記録して首位打者を獲得。MVPも受賞するなど、中西、豊田の台頭とあわせて世代交代を意識させられるシーズンになっている。ベスト10は西鉄と南海がそれぞれ4人ずつを占めており、リーグ下位の球団との戦力差が依然として大きいこともランキングから読み取れる。
 
 また、西鉄は中西、豊田、大下弘とスターを揃えながら、チーム総得点は488で2位。トップの南海の方が54点も多い。本塁打は西鉄114本、南海61本と、旧来のスタッツでは大きな差がついているように見えるが、それが得点の多さに直結していないことを示す好例と言えるだろう。1956-58年の西鉄3連覇の際にもこの状況は再現されており、打線のネームバリューだけを見れば最強に思える西鉄がペナントレースで苦しむことが多かった一つの要因となっている。
 
 ベスト10圏外のトピックとしては、レオ・カイリー、チャーリー・フッドの両外国人選手を取り上げたい。プロ経験者だが当時米軍基地で働いていた彼らを、毎日がアルバイト選手として雇用したのだ。詳しく見ると毎日は早くから目をつけていたようで、7月27日の朝鮮戦争休戦を待っていたかのように契約。次の次の土曜日である8月8日には早くも出場という手際の良さであった。
 
 平日ナイトゲームと休日のみ出場という文字通りアルバイトだったが、特にカイリーは投げては5勝0敗、打っては19打数10安打と投打にわたる大活躍。前後の事情からさして大きな資金も必要なかったと思われるが、雇用形態の問題もあってこの年限りでアルバイト選手は消滅した。野球の世界の中の都合が、外の世界の法令や決まりより優先されるという事態はあってはならないことだ。ワーキングビザなど持っているはずがないのに公衆の面前でプロ野球とは、それにしてもワイルドな時代である。

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