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松沼博久・雅之、ドラフト外の肖像#2――アンダースロー誕生の瞬間、「僕はピッチャー嫌いだった」

日本プロ野球では1965年にドラフト制度導入後も、ドラフト会議で指名されなかった選手を対象にスカウトなどの球団関係者が対象選手と直接交渉して入団させる「ドラフト外入団」が認められていた。本連載ではそんな「ドラフト外」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。

2018/10/09

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最後の甲子園県大会は押し出しのサヨナラ負け

 ところが、高校3年生の県大会の前、この投手が怪我を負ってしまう。松沼は投手としてチームを支えなければならない立場に追い込まれたのだ。
 
 1970年7月――。
 取手二高の1回戦の相手は、前年の夏に県ベスト4に入った土浦三高だった。松沼は投手、五番打者として先発出場している。1回から取手二高は盗塁、送りバントを絡めてしぶとく得点を重ねて7対3で勝利。続く2回戦は土浦工業に2対0。松沼は九回を投げきり、4安打、無失点で抑えている。
 
 3回戦の相手は、好投手、梶間健一を擁する鉾田第一高校だった。梶間は高校卒業後、日本鋼管に入社。77年のドラフト会議でヤクルトスワローズから2位指名を受けている。
 
 試合は1回から点の取り合いになった。9回を終了して4対4。延長戦に入った。延長10回裏、松沼は二死から二塁打を打たれた。続く四番の梶間にはこの日、2本の三塁打を打たれていたため、敬遠。続く五番打者にも四球。二死満塁となった。
 

 
〈鉾田一の六番駒場への一球目、延長十回二死満塁、窮地に立った取手二松沼投手が打者駒場に思わぬ死球、押出しの一点を与えた。ぼう然自失する松沼―小島のバッテリー。鉾田にとっては薄氷を踏む思いの勝利だった〉(『朝日新聞 茨城版』 1970年7月22日付)
 
 押し出しでのサヨナラ負けだった。
 
「木内さんは怒って、もう口も利いてくれない。お前のせいで負けた、ぐらいに思っていたんでしょう」
 

書籍情報

『ドラガイ』2018年10月15日発売
(著者:田崎健太/272ページ/四六判/1700円+税)
 

 
<収録選手>
CASE1 石井琢朗(88年ドラフト外)
CASE2 石毛博史(88年ドラフト外)
CASE3 亀山努 (87年ドラフト外)
CASE4 大野豊 (76年ドラフト外)
CASE5 団野村 (77年ドラフト外)
CASE6 松沼博久・雅之(78年ドラフト外)

 
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ドラガイ
 

【著者紹介】
田崎健太 たざき・けんた
1968年3月13日、京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。スポーツを中心に人物ノンフィクションを手掛け、各メディアで幅広く活躍する。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』『真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』『真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男』(集英社インターナショナル)『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』

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