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「来年は戻るから」と小園健太に伝えた。DeNA深沢鳳介は右肘手術を経て変わる「あのときに“戻す”という考えはない」【後編】

2025/07/15 NEW

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【写真:編集部】



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 プロ3年目だった昨季、先発ローテーション入りが期待されていた深沢鳳介は、オープン戦で右肘の痛みを訴えて降板。そこから、長く苦しいリハビリの日々が始まった。この現実をどう受け入れ、どのような心境で日々を過ごしていたのか、本人が振り返る。(取材・文:石塚隆)【取材日:7月1日】

 

ライバルを応援しに横浜スタジアムへ「ちょっと悔しかったのですが…」

 
 昨年、トミー・ジョン(TJ)手術が決まったとき、深沢鳳介は「今年は任せた」と、ライバルであり親友の小園健太に伝えた。
 
 「本当は一軍でライバルとしてやりたかったのですが、自分が無理な状況になって、ここはやっぱり健太には一軍で頑張ってほしい。だから『今年は頑張ってな、来年は戻るから』といった話はしました」
 

 
 昨年の4月10日の中日戦、小園のプロ初登板となった試合に、深沢は横浜スタジアムに足を運び、戦況を見守っていた。
 
 「やっぱり自分が先に投げたかったという思いもあったのでちょっと悔しかったのですが、素直に応援していました」
 
 この試合で小園は勝てず、結果一軍登板も1試合だけになってしまったが、今季はファームで好投を見せ、7月3日の中日戦でプロ初勝利を挙げている。
 
 「本当、健太は僕にとって大きな存在ですし、今年はファームでもずっといい成績を挙げて、一軍に行きました。僕からすれば、なんか目標というか、早く追いつきたいという気持ちが強いです」
 
 とにかく戦力として、チームのために投げたい。深沢と話していると、その思いが強く伝わってくる。
 

外から見たDeNAの日本一「先発投手として自分もそうならなければいけないんだなって」

 
 「今年は本当、健太が投げているところや他のピッチャーが投げている姿に刺激を受けています。昨年は昨年で、悔しさはありましたが、日本一になったりして、あの場所に自分も入りたいなって思うんです。同時に身近にそういった経験をした選手がいるのは、すごいよかったなって」
 
 振り返れば昨季は一軍もファームも日本一になったが、深沢は、戦力として1ミリもコミットすることができなかった。
 
 「そうなんですけど、逆に一歩引いたところからチームを見ることができたというか、勝てるピッチャーの特長はこうなんだとか考えることができたのは、いい時間でしたね」
 
 渦中にいては気づけないこともある。これまで自分のことばかりで必死だったが、手術をしたことで、状況を始めて俯瞰することができた。いわば座学の時間が生まれた。
 
 「例えば東(克樹)さんのような勝てるピッチャーは、ここぞという場面で絶対に抑えたり、再現性も高い。先発投手として自分もそうならなければいけないんだなって勉強になりました」
 
 今、名前が出た東、そして平良拳太郎は、TJ手術後に若干のスタイルチェンジを余儀なくされたが、深沢としては何かイメージしていることはあるのだろうか。そう問うと、「うーん、そうですね……」と深沢は少し考えて口を開いた。
 

「あのときに“戻す”という考えはまったくない」

 
 「球速を上げていきたいという思いはあるのですが、やっぱり僕の武器はコントロールや相手打者との駆け引きといった部分なので、そこのベースは崩さないと思います。とにかく球の質を高め、相手が嫌だと思うボールを投げようと思っています」
 
 手術以前の状態が『10』とするのならば、現在は『6』程度の状態だという。
 
 「ただ自分のなかでは、あのときに“戻す”という考えはまったくなくて、“進化”しなければいけないと思っています。まだまだデータを見てもボール個々の数値は低い状況ではあるので、さらに高めていけたらと思っています」
 
 深沢のフォームといえば柔らかさをもったサイドスローが特徴的であるが、肘への負担を考えた上で、メカニカルな部分で何か変化、進化させたものはあるのだろうか。
 
 「僕はもともと肘や関節が柔らかい方で、全身の“しなり”が出やすいというか、そこが武器でもありました。ただ、それが肘への負担になっていたところもあったので、しなりを出さないってわけじゃないですけど、痛みのない範囲でしっかり強度を出すことを探りながら投げていますね」
 
 TJ手術をした東や平良といった先人たちも、新たな自分の最適解を出すまで時間を要したが、果たして“ハマの精密機械”と呼ばれる深沢が、どんな新たな自分を見出し、構築してくるのか楽しみだ。
 
 きつい時間だったが、プロ野球選手として生きる上で得るものは多かった。深沢は、自分に降りかかった運命を受け入れ、達観した様子でゆっくりと語る。
 
 「去年あのまま、もしかしたら先発として開幕ローテに入れたかもしれないけど、その後どうなっていかもわからないし、未熟な面しか見せられないまま終わっていたかもしれない。もちろん怪我はしたくなかったですけど、人間性という面は成長できた時期だったと思います」
 
 今年の11月で22歳になる。大人へ階段を昇る多感な時期を、悔しさを抱えながらも一歩引いて自分を見つめることができたのは、これ以上ない経験だった。改めて深沢は明るい表情で言うのだ。
 

「野球だけやっていても、それも違うなって」

 
 「以前であれば、野球の結果ばかりを求めていたのですが、野球ができない時期、いろいろな人と接したことで、ちゃんと応援される選手になってから、その上で活躍するんだって思えるようになったんです。何ですかね……野球だけやっていても、それも違うなって思いも出てきたというか……」
 
 少しだけ言い淀みながらだったが、言わんとしていることはわかった。盲目的にならず、人間のとしての幅を持たなければ、この厳しい世界を勝ち抜くことはできない。一軍で活躍する一流の選手は、得てしてそういうものだ。
 
 さて今季は育成契約となっている深沢だが、7月末の支配下登録の期限が迫ってきている。やはり早々に支配下に戻りたいかと尋ねると、深沢は真っすぐな目で言った。
 
 「それは球団の方が決めることだと思いますが、僕としては後半戦で戻るぐらいの気持ちでここまでリハビリやトレーニングをしてきましたし、今後も試合で投げていくと思います。支配下になれればもちろんいいのですが、仮に上がれずとも僕は、来年、再来年も見据えているので、そこで活躍できるようにという気持ちでやっています」
 
 こちらが「でも早く背番号から“0”を取りたいんじゃないすか?」と聞くと、「それはありますねえ」と、深沢は笑った。
 
 まだスタートラインにさえ立ってはいない。すべてはこれからだ。関係者はもちろん、ファンからの深沢への先発投手としての期待値は、同期の小園と同じぐらいに高い。
 
 今回の取材で深沢が、瞳に強い光を宿した瞬間があった。それは6月26日のJFE東日本との練習試合で復帰後初めて、先発のマウンドに立ったが「まっさらなマウンドは気持ちよかったですか?」と、尋ねたときのことだ。
 
 深沢は、小さく頷き言った。
 
 「ええ。やはり自分は先発の方が向いているなと感じました」
 
 果たして未来の先発ローテーションを担えるのか。悲願の一軍デビューに向け、まだ若く、天井の高さを感じられる深沢のピッチングをこれからも楽しみにしたい。
 
(取材・文:石塚隆)
 
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【了】



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