大谷翔平選手をはじめとした日本人メジャーリーガーを中心にメジャーリーグ・日本プロ野球はもちろん、社会人・大学・高校野球まで幅広いカテゴリーの情報を、多角的な視点で発信する野球専門メディアです。世界的に注目されている情報を数多く発信しています。ベースボールチャンネル



昭和、平成、そして令和へ…一時代を築く「怪物」の系譜。最強投手たちの伝説とは

2022/04/22

text By

photo

産経新聞社



江川卓(えがわすぐる)

投打:右投右打
身長/体重:183センチ/90キロ
生年月日:1955年5月25日
経歴:作新学院高-法政大
ドラフト:1978年ドラフト1位
〇最優秀選手(MVP):1回(1981年)
〇最多勝:2回(1980-81年)
〇最優秀防御率:1回(1981年)
〇最多奪三振:3回(1980-82年)
〇最高勝率:2回(1981、84年)
〇ベストナイン:2回(1980-81年)
〇オールスターゲーム出場:8回(1980-87年)
 
 元祖“怪物”の異名を取った江川。作新学院高時代には、公式戦で完全試合2回、無安打無得点試合(ノーヒットノーラン)を9回達成。ベスト4入りした3年春の甲子園では、大会最多記録となる60奪三振をマークした。ドラフト1位指名を拒否して進学した法政大でも、当時のリーグ記録となる17完封を挙げるなど各カテゴリで驚異的な成績を残した。
 
 卒業後は、当時福岡県に本拠地を置いたクラウンライター(現西武)からドラフト1位指名を受けたが、「首都圏のセ・リーグ球団」を希望し、2度目の入団拒否。米国へ1年間の野球留学を決断した。翌年のドラフト会議では、最終的に一度阪神と契約。当時のエース格・小林繁との電撃トレードを経て巨人入団を果たすも、 “空白の一日”などと呼ばれた去就騒動は、問題視された。

 プロでは、1年目から9勝をマーク。翌年には16勝、219奪三振、防御率2.48の好成績を残し、最多勝と最多奪三振、ベストナインに輝いた。同年から8年連続2桁勝利を挙げ、3年連続最多奪三振を獲得。特に西本聖とWエースを形成した81年には、31試合(240回1/3)を投げ、20勝6敗、勝率.769、221奪三振、防御率2.29、完投数も20(うち7完封)を数えるなど大車輪の活躍を見せ、投手4冠(勝利・防御率・奪三振・勝率)とベストナインを受賞。チームを日本一に導き、シーズンMVPにも輝いた。順調に実績を積み上げていた江川だったが、83、85年に右肩を故障。鍼治療などによって復活を続けていたが、その代償は大きく、リーグ優勝を置き土産に87年限りで現役を引退。プロではわずか9年と短いキャリアとなったが、速球とカーブの2球種のみで打者を圧倒。160キロ超とも称される持ち前の剛速球は、今もなお伝説として語り継がれている。
 
 通算成績は、266試合(1857回1/3)を投げ、135勝72敗3セーブ、1366奪三振、防御率3.02となっている。

1 2 3 4