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MLB初のビデオ判定から20年。思い渦巻く“歴史が動いた日”「アメフトのようになってほしくない」

2019/06/01

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公式記録には載っていない「本塁打→二塁打」

 メジャーリーグで本塁打の判定にビデオ判定が公式に使われ始めたのは2008年のことだ。2014年には監督が審判の判定に異議を申し立てる場合、ビデオ判定を要求できる「チャレンジ方式」が導入された。現在では、審判員がホームプレート後方に集まり、ビデオ映像を確認する光景がほぼ毎試合のように見られるようになった。
 
 公式記録では、メジャーリーグの試合でビデオ判定によって判定が覆された初めての例は2009年5月13日(日本時間14日)のことで、アダム・ラローシュ氏(当時ピッツバーグ・パイレーツ)の本塁打が取り消されて二塁打にされた。
 
 だがそれより10年以上前に、当時はルール上存在しなかったはずのビデオ判定が行われ、それによって本塁打の判定が二塁打と変更されたことがある。その歴史的な出来事は今からちょうど20年前、1999年5月31日(同6月1日)にフロリダで行われたフロリダ・マーリンズ(当時)対セントルイス・カージナルス戦で起きた。
 
 経緯はこうである。マーリンズのクリフ・フロイド外野手が左翼フェンス際まで届くライナー性の打球を放った。打球は一旦バウンドしてグラウンドに戻ってきた。最初は二塁打と判定されたが、マーリンズの抗議によって審判団が協議を行い本塁打と変更された。すると今度はカージナルスが抗議を行い、ついに主審のフランク・プーリ氏がカージナルスのダグアウトへ赴き、そこでテレビ中継の再生を見て打球がフェンスに当たっていることを確認し、判定を二塁打へと再変更した。
 
 その頃ビデオによる判定はまだ制度上存在していなかった。ナショナル・リーグのレオナルド・コールマン会長(当時)は「ビデオ再生を判定に使用することは許される行為ではない」と語り、プーリ氏の行動を批判している。コールマン氏はさらに「このゲームの正当性を保つためには、判断はフィールド上の人間の目によって行われるべきだ」とも続けている。
 
 その時にプーリ氏が下した判定が無効とされることはなかったし、公式にはビデオ判定を行ったとも記録されていない。だが、その後のメジャーリーグの変遷ぶりを見ると、プーリ氏こそがビデオ判定のパイオニアだとする向きも多い。
 
 プーリ氏自身にとっては、そのような呼ばれ方は不本意であったらしい。試合の後に氏は「これ(ビデオ判定)を癖にはしたくない。だが、あの時はそうするしかなかったし、それは正しい判断だったと思っている。できれば2度とビデオ判定はしたくない。野球がアメフトのようにはなってほしくない」と語っている。
 
 プーリ氏の願いはむなしく、現在のメジャーリーグはますますビデオ判定の適用範囲を広げ頻度も増している。もっとも、幸か不幸か、同氏が2度とビデオ判定に関わることはなかった。同氏はメジャーリーグにビデオ判定が正式に導入される前年の2007年に審判を引退し、チャレンジ方式が導入される前年の2013年に78歳で亡くなっている。
 
 プーリ氏のメジャーリーグ審判としてのキャリアは30年近くに渡り、合計3774試合で審判を務め、その中にはハンク・アーロン氏がベーブ・ルース氏を抜いて715本目の本塁打世界記録(当時)を樹立した試合も含まれている。