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MLB挑戦の道を開いたパイオニアは、ベースボールを救ったヒーロー 野茂英雄、ドジャースとの契約から20年

今からちょうど20年前、野茂英雄がドジャースと契約を結んだ。今でもアメリカのファンのヒーローであり続けているパイオニアの活躍を振り返っていく。

2015/02/14

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野茂がアメリカで特集を組まれる理由とは?

 センセーショナルな1年目を過ごした野茂の活躍はそれからも続いた。8球団(うちドジャース2度)12年であげた123勝、1918奪三振は日本人最多。1996年と2001年にはノーヒットノーランも達成。特に1度目は打者天国のクアーズ・フィールドで達成したもので、メジャー史でも屈指の価値があるノーヒットゲームと評価されている。いまだに野茂以来この球場でノーヒッターを成し遂げた選手は出てきていない。
 
 こうした試合での活躍もあるが、野茂はなぜいまだにアメリカで特集を組まれるほどの選手なのだろうか。
 
 野茂の功績の一つとして、ストライキで失われた野球への興味を取り戻した点にある。
 1994年から1995年にかけておきたストライキによってアメリカのファンは232日もの間ベースボールを奪われた。特に第二次世界大戦中も途切れることがなかったワールドシリーズが中止されたショックは大きく、95年の開幕後も各地でブーイングが乱発。そんな「百万長者と億万長者の喧嘩」にあきれ果てたファンを呼び戻したのが極東から来た一人の侍だった。
 
 風変わりなフォームでバッタバッタと三振を取っていく日本人投手を見に全米のファンは再び野球場に足を運ぶようになる。野茂が投げる試合のドジャースタジアムの観客は激増、ビジターでも多くのファンがトルネード投法見たさに球場を訪れた。ソーサ&マグワイアの本塁打記録争いなどとともに、ストライキからファンを取り戻した立役者との声も大きい。
 
 幾度も遂げてきた復活劇も見逃せない。
 最初の復活劇は99年、春にメッツを解雇され、ブリュワーズに拾われると1年25万ドルながらチーム最多の12勝をあげる活躍。メッツを解雇された時点では「野茂はもう終わった」と書くメディアも多かったがその後5年間で65勝をあげる完全復活を果たした。
 
 2005年には37歳ながらデビルレイズのマイナー契約から這い上がり先発で5勝をあげると、2008年には肘の故障を乗り越えてロイヤルズで1000日ぶりのメジャー登板。3試合のみの登板ではあったが不死鳥・野茂英雄を全米に印象付ける出来事になった。
 
 メジャーリーグ挑戦の道を開いたパイオニア。ベースボールを救い、何度でも復活したヒーロー。20年の時が過ぎても野茂の活躍は色褪せることがない。
 
出典:20 years ago: Hideo Nomo signs with Dodgers by Eric Stephen in SB NATION on Feb.13 2015

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