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異色の“慶應ボーイ”が歩む道。植田将太、悔しさを原動力に「来年は“なんとしても”一軍の戦力に」【千葉ロッテマリーンズ・若手選手インタビュー連載#15】

2021/12/18

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トミー・ジョン手術を乗り越えた過去

 順風満帆な道ではなかった。だからこそ現在の姿がある。

 植田は、慶應大からは異例とも言える育成選手として入団。大学時代はリーグ戦通算1安打だった。同期には郡司裕也捕手(現中日ドラゴンズ)がいて、華々しく正捕手として活躍。一方植田は、右肘痛に苦しんだ。
 
 「野球を続けたい」一心で、在学中に右肘の靭帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)を受けることを決意。痛めていた右肘を治すことを優先した。
 
「大学を卒業しても野球をやりたいという風に思っていたので、僕はキャッチャーで、スローイングを武器にしてやっていきたいなと思っていたんです。けど、肘が痛くて。自分の思うようなプレーができないままやっていくよりは、まずはけがをしっかり治して、万全の状態で野球に取り組みたいというのがあって。それで手術しようと思いました」
 
 当時味わった悔しさは、いまもなお彼の原動力となっている。
 
「大学時代も、高校時代もそうなんですけど、補欠である時間が本当に長かったので、簡単に言うと不完全燃焼というか、本当にやりきれない、悔しい気持ちがかなりあった。(だからこそ)なんとかこの先見返してやろうという気持ちで、手術のリハビリだったりをやってこれたのかなと思います」
 
 植田は、“慶應ボーイ”から連想されるようなエリート街道ではなく、泥臭く戦ってきた男なのだ。

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