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「北海道に本気で向き合わなければ」ファイターズでの挑戦【前日本ハム球団社長・藤井純一氏#3】

現在、日本のプロ野球界で実に効率的なチーム作りをしているのが北海道日本ハムファイターズである。東京から北海道へ移り、地域密着に成功した球団の土台を築いた一人が藤井純一前球団社長だ。これまでの藤井氏の話を聞くと、「負けない」ファイターズ、「集客力のある」ファイターズの土壌が見えてくる。

2015/08/20

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「ファンサービス・ファースト」の空気がチームにあった

 2005年、藤井は常務執行役員事業部長として北海道日本ハムファイターズに出向した。

「北海道の人は本当に北海道が好きなんですよ。この地域に生まれたことに誇りを持っている。僕は宝塚生まれですが、宝塚を故郷だと思っていない。また、大阪の人は〝大阪〟とユニフォームに書いても、応援しようなんて思わない。でも北海道の人は違う。どうしてファイターズを応援するかというアンケートをとったら、90パーセントの人が北海道のチームだからというものでした」

 セレッソ大阪で限界を感じていたことの一つは、地元意識の希薄な大都市で観客をつなぎ止めていく難しさだった。北海道ではその努力は必要なかった。

 藤井は、この時期のファイターズは変革期のただ中にいたと評する。

「金子(誠)とかが、客のいない暗黒時代のファイターズを知っているじゃないですか?それが北海道に来たことでお客さんに来て貰えるようになった。お客さんがこれだけいる前で試合をできるのは幸せなことだと、金子たちが後輩に一生懸命言ってくれた。ファンサービスしなければあかんとかね。新庄も阪神にいるときはさっぱりやったけど、うちに来てからはすごくやってくれた」

 メジャーリーグのニューヨークメッツから加入した新庄剛は、新生ファイターズの象徴 だった。

「うちに来てあれだけよく変わってくれた。ラッキーやった。アメリカ帰りの新庄、そして監督のヒルマンはファンサービスは当たり前という考えがあった。そうするとみんながせざるえなかったんですよ」

 二人ともファイターズの標榜する「ファンサービス・ファースト」を実践する人間だった。
 新庄はマスクを被ったパフォーマンスで観客を楽しませたこともあった。

「ぼくからすれば客が入れば何をやってもええと。当時の野球界はファンサービスという発想が少なかった。選手が誰から給料をもろているのかといえば、ファンから。そのファンを楽しませることは当然のこと」

 ファンを大切にすることは、かつてバイエルン・ミュンヘンで学んだことでもあった。
 とはいえ、新庄のパフォーマンスは悪ふざけとも取られる可能性はあったろう。

「北海道というまっさらな土地だったから、好きな事ができた。受け容れてもらえたのかもしれません」

 ただ、ファイターズという会社全体を覆う赤字体質は大きな問題だった。

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藤井純一(ふじい・じゅんいち)
1949年大阪府生まれ。近畿大学農学部水産学科卒業後、日本ハムに入社。1997年、Jリーグクラブのセレッソ大阪(大阪サッカークラブ株式会社)取締役事業本部長に就任、2000年に同社代表取締役社長。2005年、株式会社北海道日本ハムファイターズ常務執行役員事業本部長に就任。翌年から2011年まで代表取締役社長(06、07、09年にリーグ優勝、※06年は日本一)。現在は近畿大学経営学部特任教授を務める。

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