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セイバーメトリクスの視点で見るNPB歴代最強打者ランキング ~4位-6位~

2021/02/24

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Getty Images, DELTA・道作

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 昨年の5月から「セイバーメトリクスの視点から過去の打撃ベスト10を振り返ろう」の企画では、各年度の打撃10傑を取り上げきた。すでに1936年から2020年まで、日本プロ野球の歴史を貫通させている。ただ企画はこれで終わらない。ここではランキングに使用した指標wRAA(※1)を選手ごとに合算し、日本プロ野球オールタイムの最強打者ランキングベスト50をカウントアップ方式で紹介していく。
 

 
 またランキングはシーズン合算で行っているため、日本で長く現役生活を送った選手が有利となる。現役選手や、キャリアの中でMLB挑戦を試みた選手、外国人選手にとっては不利なランキングだ。そこで短期間に集中した残された実績、全盛期の活躍を評価するため、各選手のキャリアベスト5年、ベスト10年で見た場合のwRAAランキング順位も併記した。歴史的名選手の最盛期のピークがどれだけ高いものだったのかも、通算ランキングとあわせて楽しんでほしい。
 
(※1)wRAA:リーグ平均レベル(0)の打者が同じ打席をこなした場合に比べ、その打者がどれだけチームの得点を増やしたかを推定する指標。優れた成績で多くの打席をこなすことで値は大きくなる。データ算出は筆者。
 

 

4位:落合博満(1979-1998年)

 

wRAA通算:674.4 ベスト5シーズン:3位 ベスト10シーズン:3位
 
 歴代通算wRAA4位はロッテ、中日などでプレーした落合博満となった。落合はデビューが25歳と遅かったうえ、初の規定打席到達もプロ3年目とさらに遅れた。通算ランキング上位の中では和田一浩に次ぐ異例の遅咲き選手となっている。近年のデータ分析によると、野球選手の打撃能力のピークは26歳から28歳あたりにくることが知られている。これらから考えると、落合や和田は通常なら成績が下降し始める時期からフル出場をはじめた異例のキャリアといえる。高卒でプロ入りすればどうなったかの想像も膨らんでしまう。ただその場合はプレー・言動ともに、個性あふれる落合のスタイルが失われた可能性も否めない。
 
 このように遅咲きの落合は、若い段階から長く全盛期を維持した2位・張本勲にランキングでは一歩譲るかたちとなっている。ただし落合もwRAAリーグ1位を争う好成績を残し続けた時期は非常に長く、1982年に初のリーグ1位となって以後、1991年までの10年間に8回のリーグ1位を数えている。1位の回数は王貞治に続く歴代2位である。最盛期のピークも非常に高く、ベスト5シーズンの合計は歴代3位となった。
 
 ちなみに通算ベスト10にランクインした選手は、落合を除く全員が同一球団に10年以上在籍した経験を持つ。アメリカではフランチャイズビルダーと呼ばれる選手だ。落合は最も長く在籍した球団で8年間にとどまっている。
 
 また、外野を全体で1ポジションとカウントするならば、落合以外のベスト10全員が現役生活を通じてほとんど1ポジションしか守っていない(投手として多く出場した川上は例外とする)。一方、落合は二塁手・三塁手・一塁手としてほぼフルシーズン稼働した経験を持つ変わり種である。ちなみに落合は守備指標Relative Range Factor(※3)で見た場合、衰えがではじめた段階で、二塁→三塁→一塁とポジションを移していた。自身の守備力の衰えを理解し、大きな損失を生む前にコンバートを受け入れていたようにも見える。
 
 落合は契約に対する姿勢もシビアで、従来の選手とは一線を画していた。実際契約額も高く、NPB初の1億円プレーヤーとなったほか、1994年の読売移籍時には、最高年俸3憶8千万に達したと報道されている。
 
 ただ長嶋の項でも紹介したが、ONは当時MLBトップ選手と同格の年俸を得ていた。ところがON直後の時代のNPBでは年俸が伸びず、この落合の頃になってようやく盛り返したといったところである。90年代中盤のMLBトップ選手の年俸は600-800万ドル程度であるため、落合の3億8000万円でMLBトップ選手のようやく半分というレベルになった。ところが現代における、日米格差はこれよりもさらに大きい。贔屓チームで何年も好成績の選手がいれば、いつまで雇えるのかと心配になる人もいるのではないだろうか。世界的には多くのスポーツ業界で報酬が桁違いに伸びているにもかかわらず、日本球界には相対的なデフレが起こってしまった。
 

5位 山内一弘(1952-1970年)

wRAA通算:634.5 ベスト5シーズン:6位 ベスト10シーズン:4位
 
 5位は毎日、阪神などでプレーした山内一弘となった。これについては意外と感じた読者も多いのではないだろうか。1950-1957年のエクスパンション(球団数拡張)期の影響により数字はやや過大に出ている(※2)とはいえ、これほどの実績のわりに地味な存在である。後世に語り伝えられるような逸話やライバル関係などの物語に恵まれず、また出塁率など打撃三冠以外の数字が優れていたことがその理由になるのかもしれない。新聞などのメディアで報じられるクラシックな打撃成績と、近年開発された打撃指標との間で評価に大きな乖離が生まれる選手は、どの時代にも一定数存在する。
 
 なお、山内が全盛期を迎える1954-1960年頃は、リーグの盟主となることをもくろみプロ野球参入を果たしていた毎日が、熱意を失い最終的に撤退した時期と重なる。客観的に見れば山内はメディアを親会社とする強豪チームの若きスラッガーである。参入当初の熱量のままに事が運んでいれば、山内をスターとして前面に立てて行くシナリオもありえた。しかし、諸般の事情からそれは実現しなかった。使えたはずのメディア戦略の恩恵にあずかれなかった不運な選手でもある。
 
 守備面ではRelative Range Factorという守備指標で見た場合、現役前半から中盤にかけては水準以上の外野守備力を示していたことがわかる。1962年は1年間不動の中堅手を務めた。それに加えこの打撃成績であるため、オールタイムのオールスターを選出するような企画では有力候補になってもおかしくないはずだが、なぜかなかなか候補にはあがらない。現役時代のリーグ優勝はわずか2回で、いずれも日本シリーズ敗退。通算ベスト10入りした選手の中で、現役時代に日本シリーズ制覇を経験していないのは、この山内と門田博光の2人だけである。
 

6位:野村克也(1954-1980年)

wRAA通算:621.5 ベスト5シーズン:9位 ベスト10シーズン:6位
 
 6位は南海、西武などでプレーした野村克也となった。野村はNPBの歴史上、最も息の長い活躍を続けた選手の1人である。出場試合3017試合はのちに谷繫元信が超えたものの、通算11970打席、通算10472打数は現在もNPB記録保持者となっている。通算出場試合数の1位と2位がともに捕手というところに、日本独自の野球文化が垣間見える。
 
 1957年に初めてwRAA40点を超えてから1970年に40超えを記録するまでが全盛期である。タイプとしては、出塁能力にも秀でてはいたものの、どちらかというと長打、特に本塁打のスペシャリストの感が強い。
 
 野村は本人を取り巻くチーム事情といった点で激変を味わった選手だ。元来、関西地方においては人気・実績ともに南海が他球団を圧倒していた。関西地方ではじめて通年のTV中継が開始されたのもやはり南海だった。本来ならここでセ・リーグと拮抗する画を描くべきところだが、南海の度重なる放映権料値上げ要求によりこの契約はわずか2年で打ち切りとなる。今、考えると、放映権料は露出を増やして人気を定着させればあとからついてくるものである。商売全体の規模を拡大する視点が欠けていたようにも思える。
 
 新しいメディアを使いこなせなかった南海は人気・実力ともに低落傾向を招き、結果としてパ・リーグ全体の露出も大きく減ってしまう。このときに選手・野村の運命も定まったのかもしれない。1950-1966年は優勝9回、2位8回と2位以内に入った確率が100%。競馬でいうところの「連対率100%」状態であったが、その後は身売りまで23年間、年間勝率1位を1度も記録できなかった。メディア戦略がすべてではないが、山内同様にプレー以外の面で不運がつきまとったようだ。
 
 話をプレーの評価に戻すと、野村のポジションは捕手であった。守備的ポジションの捕手に強打者を配備できることの優位性は大きく、他球団捕手の打撃が振るわなければ1つのポジションで大きな利得が生まれることを体現していた選手だ。ピーク時の高さはほかのベスト10選手に譲るが、平均して高い成績を継続しつづけたことによる積算系のスタッツに強みを持つ。最多本塁打9回、最多打点7回、最多塁打5回はいずれもパ・リーグ記録である。
 
(※2)1949年まで8チームであったNPBは2リーグ分裂の1950年に15チームとなり、その後1957年までは現在よりもチーム数の多い状態が続いた。リーグ全体で、そう簡単に2倍近くの選手を揃えられるはずもなく、各球団は選手獲得に苦慮した。単純に数だけでもデータ分析観点から見た場合控えレベルといえる選手が出場選手の1/4を占めるシーズンもある。こうした選手のレベルが低くなった時代のwRAAは伸びやすく、一般的なシーズンよりやや過大な数字となっている。
 
(※3)Relative Range Factor::9イニングあたりの刺殺・補殺の数によって野手の守備力を評価するRange Factorを発展させた指標。一般的な野球の記録から算出することができるため、過去の野手の守備を評価する際に用いられることが多い。
 
DELTA・道作
 
 
DELTA@Deltagraphshttp://deltagraphs.co.jp/
 2011年設立。セイバーメトリクスを用いた分析を得意とするアナリストによる組織。書籍『プロ野球を統計学と客観分析で考える デルタ・ベースボール・リポート1~3』(水曜社刊)、電子書籍『セイバーメトリクス・マガジン1・2』(DELTA刊)、メールマガジン『1.02 Weekly Report』などを通じ野球界への提言を行っている。集計・算出した守備指標UZRや総合評価指標WARなどのスタッツ、アナリストによる分析記事を公開する『1.02 Essence of Baseball』(https://1point02.jp/)も運営する。
 
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