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松沼博久・雅之、ドラフト外の肖像#5――僕たちが巨人ではなく西武を選んだ本当の理由

日本プロ野球では1965年にドラフト制度導入後も、ドラフト会議で指名されなかった選手を対象にスカウトなどの球団関係者が対象選手と直接交渉して入団させる「ドラフト外入団」が認められていた。本連載ではそんな「ドラフト外」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。

2018/10/17

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雅之の後悔

 すでに東京ガスへの就職を決めていた雅之のところに、接触してきたのは、プリンスホテル硬式野球部だったと振り返る。
 
「同級生の石毛や中尾、堀場、全日本のメンバーがみんなプリンスホテルに行くっていうんですよ。プリンスも魅力があるなって、少し揺らいだんです。で、家に帰って親父に話をしたら、もう東京ガスに決まっているんだから、東京ガスにしろって言われたんです」
 
 プリンスホテル硬式野球部は、11月2日に記者会見を開いて、石毛たちの入団発表を行っている。さらに11月初旬から有望な大学生がプリンスホテル入りを表明するようになった。雅之がプリンスホテルの関係者と接触したのはこの頃だと思われる。
 
「その後に、ドラフト会議があったんです。そして12月の中旬に毒島さんと1対1で合いました。ぼくは3年生の秋に肩を壊して、まだ治っていなかったんです。プロじゃ自信がありません、肩も痛いですしって、だからプロには行きたくないって拒否したんです」
 
 雅之は、きっぱりと断るつもりで、自分は兄と一緒に東京ガスで野球をやりたいのだと言った。すると、毒島はこう返した。
 
「二人一緒だったら、来てくれるのか」
 

 
 その言葉を聞いて雅之は、口を滑らせて余計なことを言ってしまったと後悔した。
 
「ぼく、プロに行きたくなかったんですよ。そのとき、ドラフト1位の契約金がだいたい3000万円だったんです。ぼくは肩を壊しているから、(東京ガスを断ってプロ入りするのに)保証が欲しいじゃないですか。だから二人で、これぐらい出してくれたらって金額を言ったんです。絶対に出すはずがない数字を言ったんです。断ってもらうためでした」
 
 その金額は1億5000万円だった。
 一瞬、毒島はたじろいだ。そして少し考えてこう言った。
 
「西武(グループ)だったら出すかもしれない。この金額を出せば来てくれるのか」
 今度は雅之が言葉に詰まることになった。
 
「出してくれるのならば考えます」
 
 人を介してジャイアンツから会えないかという話を貰ったのはその後だった。
 

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