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多田野数人、ドラフト1位の肖像#2――日本人2人目の快挙を達成。アメリカで生き残れた起死回生の球種

かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。

2017/07/14

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田崎健太

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インディアンスが評価した理由

 2003年2月、多田野数人は成田空港からアメリカ行きの飛行機に乗った。家族と何人かの友だちが見送りに来てくれただけの、ひっそりとした旅立ちだった。
 行く先を失った多田野に救いの手を差し伸べたのは、アランニーロという代理人だった。
 
「アランニーロ直接ではなかったですけれど、日本の担当者から話を頂いたんです。(アメリカの)下のほうでチームを探すので、とりあえずやってみないかと」
 
 まずはアリゾナでダイヤモンドバックスとコロラド・ロッキーズのキャンプに参加することになった。テストは、マイナーリーグ所属のバッターを相手に2、30球投げるだけという、至って簡単なものだった。
 
「バッティングピッチャーみたいなものです。着いてすぐにテストだったんです。東京は寒くてなかなか練習できていなかった。思うような球を投げることができなくて悔しかったですね」
 
 両球団とも不合格だった。
 
 すると代理人から、可能性は低いがクリーブランド・インディアンスのキャンプに参加してみないかと言われた。そこで多田野はフロリダに向かった。
 
「インディアンスはすごくフェアに扱ってくれたんです。体もできていないだろうから、1週間はまずマイナーのキャンプに参加。それで1週間経った後、同じようにバッターと対戦して判断すると」
 
 その1週間、多田野はキャッチボールから始め、ブルペンで次第に調子を上げていった。とにかく肩をいい状態に持っていくこと、自分の良さを出すことだけを考えていた。
 
 多田野の長所の一つは、自己分析の能力の高さである。ブルペンで投げていて、多田野は自分はここでは平凡な投手であると痛感していた。速球は140キロ後半、球種はストレートとスライダーしかない。自分がアメリカで残るには何か、突出するものが必要だった。
 
 そんなとき、メジャーの選手は縦の変化に弱いという、どこかで目にした言葉が頭に浮かんだ。
 
「これが最後のチャンスだと覚悟していました。何かしなきゃいけないと思って、(テストで)自分の球種になかったフォークを投げてみたんです。(フォークの)投げ方は教わったことはないです。挟んで投げたら、勝手に落ちてくれた。後から担当してくれた人から〝お前はフォークがいいから獲った〟と教えてもらいました。本当に、何が起こるか分かりませんね」

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