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多田野数人、ドラフト1位の肖像#1――憧れだった六大学野球と、人生が激変した大学4年秋

かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。

2017/07/13

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田崎健太

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高校3年生で野球人生の転機

 八千代松陰もまた選手層が薄い学校だった。
 
「たまたま一つ上の学年に力のある選手が少なくて、1年生の秋から投げさせてもらったんです。だからすごく場数を踏むことができました」
 
 そして、この野球部はウエイトトレーニングにも力を入れていた。冬の間、部員はウエイトリフティング部の練習に参加し、野球に必要なトレーニングを行っていたのだ。
 
「1年生のときは135(キロ)だったのが2年で138、3年で141。毎年春先に投げると、球速が上がっていた。そして次第に試合でも結果が出るようになりました」
 
 どこにでもいる野球少年の人生が変わったのが、高校3年生のことだった。
 春の県大会で八千代松陰は、多田野を中心とした堅守で優勝を飾った。この年、夏の甲子園は80回記念大会ということで、千葉県は東西二つに分けられて、2校出場枠を与えられていた。
 
「ツキがあったというか、もう一つの地区に市立船橋とかが入ったんです。1年生、2年生のときも市立船橋が(甲子園に)出ていたんです」
 
 八千代松陰は準決勝で銚子商業、決勝で成田高校を破り、甲子園初出場を決めた。
 甲子園での1回戦の相手は大阪府代表のPL学園と決まった。
 
「甲子園に出るのが目標じゃなかったんです。春たまたま優勝して、夏はすごいマークされているなぁって感じでした。そうしたら勝っていった。甲子園は大阪観光みたいな感じですよ。PLって当時強かったんですよ。(抽選会の後、初戦の相手が)決まったとき、みんな笑ってました。キャプテン、どこ引いて来てるんだよって」
 
 試合は2対6、完敗だった――。

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