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前田幸長、ドラフト1位の肖像#3――本当は西武が指名予定だった……ドラフト前に大学進学を口にした理由

1988年ドラフト1位で当時のロッテオリオンズに入団した前田幸長。その後、千葉ロッテマリーンズ、中日ドラゴンズ、読売ジャイアンツを経て、最後にはアメリカへ渡り3Aでもプレーをした。プロ野球の中では細身ながらも、独特のカーブとナックルボールを決め球に存在感を発揮した。

2017/02/17

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田崎健太

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準優勝で、プロから注目を集める結果に

 大会屈指の左腕、前田幸長を擁する福岡第一は準決勝で沖縄水産と対戦している。九州勢が準決勝で対戦するのは初めてのことだった。
 
 前田はこの準決勝で初めて自分らしいピッチングができたという。9回を投げきり、1失点。5対1の勝利。そして福岡第一は決勝に進出した。決勝の相手は、広島の広島商業だった。
 
 この試合は、前田と広島商業の上野貴大のじりじりするような投手戦となった。8回を終わって0対0。そして9回にようやく点が入る。
 
〈九回一死後、岡田が高めのカーブを左翼線安打して出塁。二塁で揺さぶり、二死後に重広が同じカーブを右翼線二塁打、決勝の1点を奪った。それまでは、前田の切れのいい直球と変化球の前に抑えられていた。しかし、やや高めに浮いたところを逃さず、それもカーブに的を絞って流し打つという臨機応変の打法が、ここというときできるあたりは、さすがといえる〉(『朝日新聞』88年8月23日付)
 
 前田はこう振り返る。
 
「高校のとき、カーブをカキーンと打たれたことは一度もないです。上手く打たれたというのは、甲子園の決勝で最後に1点獲られたとき。あれはカーブが真ん中に入ってきたのを打たれた。甘いボールではあったんですけれど」
 
 広島商業はこの1点を守り、1対0で15年ぶり6度目の日本一となった。
 
 優勝こそできなかったが、この甲子園により前田の人生は大きく変わることになった。
 まず戸惑ったのは、地元、福岡の熱狂だった。
 
「甲子園が終わった翌日、新幹線で帰りますよね。そうすると小倉駅からぼくらの車両に人がいっぱい乗ってくるんです。それでカシャカシャ写真を撮られる。小倉の次が博多駅。着いたら、ホームから凄いんですよ。後からテレビで聞いたのは、博多駅に3000人が待ち構えていたとか。駅で準優勝の報告会みたいなものをやりますって告知していたんです。しかし、危ないから中止になった」
 
 前田が新幹線を降りようとすると「ちょっと待ってくれ」と係員から声をかけられた。前田は細身の左腕として、人気選手となっていた。前田は係員に守られるようにホームに下りた。
 
 前田は「悪い気はしなかったですよ」と悪戯っぽく笑った。
 
「色んな声が聞こえるんですよ。前田くーんとかね。駅からバスに乗って学校までプチパレードでした。だいたい15分とか20分ぐらいですかね。テレビ局がヘリコプターを出して、中継していましたね」

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