コンバートで覚醒!捕手から転向してブレイクした名選手6人。才能を開花させた選手たち
2025/05/27
産経新聞社
山﨑武司
投打:右投右打
身長/体重:182cm/100kg
生年月日:1968年11月7日
経歴:愛工大名電高
ドラフト:1986年ドラフト2位
スラッガーとして活躍した山﨑武司は、捕手として入団した選手だった。
山崎は1987年ドラフト2位で中日ドラゴンズに指名され、捕手として入団した。
プロ4年目の秋季キャンプで外野手に転向すると、プロ9年目には66試合の出場で打率.291、16本塁打、39打点の成績を残して頭角を現わす。翌1996年には127試合の出場で39本塁打を放ち、本塁打王を獲得した。
以降、中日の大砲としてレギュラーを張ることになる。しかし、プロ16年目の2002年に26試合出場で打率.192、2本塁打、5打点と極度の不振に陥ると、2003年にはオリックス・ブルーウェーブ(現:バファローズ)にトレードされた。
移籍1年目は、110試合の出場で打率.232、22本塁打、68打点とまずまずの成績を残した。しかし、移籍2年目は62試合の出場にとどまり、同年オフに戦力外通告を受けてしまう。
そんな中、2005年に新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスに入団したことで、山崎に転機が訪れる。
それが、2006年に楽天の監督に就任した野村克也との出会いである。
野村のもとで山崎は、2007年に38歳で43本塁打、108打点をマークして打撃2冠を獲得。41歳となった2009年には、142試合の出場で打率.246、39本塁打、107打点の成績を残し、チームを2位に押し上げる原動力となった。
2011年オフには古巣・中日に復帰し、2013年に現役引退。山﨑はプロ野球生活25年で403本塁打を放ったが、野村との出会いから引退までの8年間で167本の本塁打を放った。
個人的には、2009年のCS1st 第2戦でホームランを打った際、ベンチの野村と抱き合う姿が忘れられない。