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中日と育成契約で入団の多村。中村紀、柳瀬、脇谷と同じく再起を果たせるか

横浜、ソフトバンクで通算195本塁打を放った多村が育成契約で中日に入団することが決定。背番号215を背負い復活を目指す。過去には中村紀を筆頭に、堂上剛、脇谷、柳瀬、狩野らが育成契約から再起を果たした。

2016/01/16

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中日の日本一へ貢献した中村、故障明けの柳瀬、脇谷らも

 その筆頭としてあげられるのが中村紀洋だ。
 91年のドラフト4位で近鉄入団、以降本塁打王を1度、打点王を2度獲得するなど近鉄の4番として活躍した。05年にメジャー移籍も翌06年にはオリックスで日本球界へ復帰。しかし12本塁打、45打点と期待に応えることはできなかった。1月17日に自由契約となった中村だが、契約を申し出る球団はなく「架空のキャンプイン」も経験。そんなベテランに手を差し伸べたのが中日だった。
 
 テスト生として中村をキャンプに招いた中日は育成選手として契約。背番号は近鉄時代の5に200を足した205、年俸は最盛期の1/125となる400万円だった。
 
 オープン戦で結果を残した中村は開幕直前に支配下登録を獲得。
 その年は主に中軸を担い、打率.293,79打点の活躍でリーグ優勝に貢献、日本シリーズではシリーズMVPも獲得するなど大活躍を見せた。翌07年も24本塁打、72打点と活躍し、以降は楽天、DeNAにも在籍。育成契約後から8年間で85本塁打、387打点を記録している。
 
 投手では柳瀬明宏が育成選手を経験した。
 1年目の06年にシーズン未勝利ながらポストシーズンで初勝利をあげる史上初の快挙を達成した柳瀬。翌2年間も合計で74試合に登板するなど、中継ぎとして活躍したが、10年にトミー・ジョン手術のリハビリもあり育成契約に。
 
 手術明けの12年に2軍戦で結果を出し、再び支配下登録されると、その年35試合に登板して15ホールド、防御率1.63と復活を果たした。復帰後は4年間で127試合に登板し、防御率2.00と育成登録以前より成績が向上している。
 
 今季FAで巨人復帰を果たした脇谷亮太も育成選手を経験している1人だ。
 入団1年目から内野の控えとしてチームに貢献、2010年には132試合に出場し、8三塁打、28盗塁など自慢の脚を武器にレギュラーを獲得した脇谷。しかし翌11年には骨折で長期欠場、自由契約となった。その後育成選手として再契約を果たすと、2013年に1軍に復帰。FAの人的補償として移籍した先の西武でもスーパーサブとして貢献し、昨季は118試合に出場し打率.293の活躍を見せた。
 
 その他野手では中日で左の代打として活躍するも14年に戦力外通告。昨シーズン巨人で育成契約から代打の切り札の地位を掴み、41試合に代打出場した堂上剛裕。
 2012年に育成契約も、13年再び支配下選手登録され、今季は自己2番目に多い66試合に出場した狩野恵輔らも育成契約から再起を果たした選手といえるだろう。

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