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『消えた』ヤクルトのドラ1四兄弟。残された村中恭兵と由規に託された使命【新・燕軍戦記#18】

かつては東京ヤクルトスワローズで「ドラ1四兄弟」と呼ばれた4人の投手が今年、一軍の舞台から完全に姿を消した……。そして、オフには2人が現役を引退。残された2人も今、崖っぷちに立たされている。

2015/11/28

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『長男』村中は来季復活に懸ける。

ユニフォームを脱いだ『次男』増渕と『四男』赤川

 ドラ1四兄弟──。ヤクルトには、そんな異名を取った4人のピッチャーがいた。村中恭兵、増渕竜義、由規(佐藤由規)、赤川克紀。もちろん血のつながりはないが、2006年から立て続けに高卒ドラフト1位(村中、増渕、由規は高校生ドラフト1巡目)で入団した彼らを、メディアは兄弟になぞらえた。
 
 最初は「三兄弟」だった。2010年、村中と由規がそろって初の2ケタ勝利を挙げると、増渕は中継ぎとして57試合に登板。翌11年にはシーズン途中から赤川が先発ローテーションに加わり、彼らは「ドラ1四兄弟」と呼ばれるようになった。
 
 だが、「四兄弟」の揃い踏みは、これが最初で最後となる。2011年シーズンの終盤に肩痛を訴えた由規は、翌12年は一軍のマウンドに上がることができず、13年春には右肩を手術。14年の開幕直後には増渕が北海道日本ハムにトレードされ、「四兄弟」は解体されてしまった。
 
 迎えた今シーズン、一軍出場選手の中に彼らの名前を見つけることは、最後までかなわなかった。村中と赤川は今年は一軍に上がることができず、由規は2011年9月を最後に一軍のマウンドから遠ざかったまま。日本ハムに移籍して2年目の増渕もまた、二軍暮らしが続いた。
 
 10月2日、ヤクルトが14年ぶりのセリーグ制覇を決めた、まさにその日。増渕は日本ハムから戦力外通告を受け、赤川もヤクルトから戦力外を告げられた。増渕27歳、赤川はまだ25歳。ともに若くしてユニフォームを脱ぐ決意を固め、「ドラ1四兄弟」は『長男』の村中と『三男』の由規を残すのみとなった……。

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