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野茂英雄は「野球人気を再燃させたヒーロー」 アメリカ球宴での先発&快投から20年

1995年にセンセーショナルなデビューを飾った野茂英雄が、球宴で栄誉ある先発のマウンドを踏んでから20年になる。米メディア『ESPN』は、彼の登場がMLBに与えた影響と功績を伝えている。

2015/07/07

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日本人選手のMLB挑戦への道を開いた

 7月2日、彼は球宴に選出された。権威ある『スポーツ・イラストレイテッド』誌の表紙も飾った。

 オールスターゲームは7月11日に開催され、ナリーグの先発を務めた野茂はアリーグ先発のランディ・ジョンソン(当時マリナーズ)と投げ合った。2回を1安打無失点で3三振という堂々たる内容だった。作家のロバート・ホワイティングは、「野茂の1995年オールスターでの登場は、日本とアメリカ間の太平洋戦争終結50年後での歴史的な出来事だった」と書いた。

 この年の野茂のMLBにおける存在を、ショーンフィールドは以下のように評している。

A player from Japan had emerged to reignite the national pastime in a way that perhaps no native-born American could have, given the bitter emotions that remained over the strike.”
日本からやってきた選手が、ストライキによる苦い感情が残る(アメリカの)国民的娯楽に、おそらくアメリカ生まれの選手では不可能なやり方で再び火を付けた。

 野茂はこの年を13勝6敗、防御率2.54という素晴らしい成績で終えた。奪三振236はリーグナンバーワンで、新人王を獲得。サイ・ヤング賞投票でも4位に入った。このルーキーイヤーが野茂にとってのメジャーキャリアのハイライトで、その後のキャリアは必ずしも順風満帆ではなかった。2度のノーヒッターを達成したが、解雇も何度も経験し、球団を転々とするジャーニーマン(旅がらす)となった。
 それでもショーンフィールドは野茂の残した功績は計り知れないとしている。

Most importantly, of course, he opened the door for other Japanese pitchers and position players. Without Nomomania would we have had Ichiro Suzuki or Hideki Matsui or Hiroki Kuroda or Yu Darvish or Masahiro Tanaka?
最も大事なのは、彼は日本人の投手や野手への道を開いたことだ。ノモマニア(訳者注 野茂に熱狂するファンやメディアのこと。80年代のメキシカンセンセーションだったフェルナンド・バレンズエラ投手と彼を追いかける「フェルナンド・マニア」になぞらえてこう呼ばれた)なくしては、イチローや松井秀喜や黒田博樹も、ダルビッシュ有や田中将大もメジャー登場はありえなかっただろう。

出典:“#TBT : Hideo Nomo starts All-Star Game”@ ESPN SweetSpot by David Schoenfield in Jul. 2nd 2015

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