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CPBL初代打撃王・王光輝氏が急死 台湾プロ野球の礎築いた功労者、“甲斐キャノン”とも対峙した息子は「ずっと良いお手本」

2021/09/01

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中華職業棒球連盟

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 台湾プロ野球(CPBL)の初代打撃王(首位打者)、元兄弟エレフェンツの王光輝氏が、8月30日に肝臓がんのため他界した。56歳だった。2020年に末期の肝臓がんが発覚。自らの希望で公表せずに闘病を続けていたという。突然の訃報を受け、悲しみの声が溢れている。
 

 
 1964年に生まれた王氏は、台湾東部花蓮県にあるアミ族という先住民族で、陽岱鋼外野手(巨人)と郭源治氏(元中日)と同じ民族だった。高校は野球の名門中華高で、大学も郭源治と同じ輔仁大学に進学。国から期待されるスターだった。

 1988年に開催されたソウルオリンピックでは、台湾代表に選出。日台戦で王も8番打者として出場し、野茂英雄氏、潮崎哲也氏と石井丈裕氏と対戦した。試合は延長13回の死闘の末、日本代表が4対3で勝利している。オリンピック後、当時まだプロ野球がない台湾で、王氏も複数の日本社会人チームのオファーを受けたが、台湾社会人チームの兄弟ホテルに加入した。
 
 そして2年後の1990年、兄弟ホテルが台湾プロ野球チーム「兄弟エレフェンツ」(現中信ブラザーズ)に転身。王氏も初代チームメンバーとして台湾プロ野球の黎明期を支えた。先住民族として特に陽気な性格で、当初からファンを魅了。「萬人迷(万人を魅了する人)」という愛称をもった。同年は打率.342をマークし、リーグの初代打撃王(首位打者)に輝いた。1995年に八百長事件が発覚して以降も、王氏は兄弟エレフェンツに残り、CPBLの暗黒時代を支えた。生涯兄弟エレフェンツを貫き、2004年に引退。通算1000本安打も達成した。
 
 引退後の2006年からは、CPBL初の先住民族監督として兄弟エレファンツを率いた。2009年に退任後は、学生野球にも力を注ぎ、2009年に開催された第2回WBCでは、台湾代表の打撃コーチを努めた。
 
 しかし、2020年に末期の肝臓がんが発覚。自らの希望で公表せずに闘病を続けたが、静かに息を引き取った。
 
 また、王氏の息子・王威晨内野手は、2015年から父と同じ中信ブラザーズでプレーしているが、ドラフトでは13巡目の下位指名に。当時は「王光輝の息子はドラフト13位、さすが二世の力だね」と揶揄されたが、王氏は「たとえイチローという偉大な選手でもドラフト1位ではなかった。とにかく頑張れ!」と励ました。すると、3年後の2018年には、44盗塁でCPBLの盗塁王を獲得。「二世」の名を払拭した。同年のシーズンオフに福岡で開催された「ENEOS 侍ジャパンシリーズ2018」では、台湾代表に選出。「甲斐キャノン」の異名を取る甲斐拓也捕手(ソフトバンク)を相手に果敢に二盗を仕掛けた。盗塁は失敗に終わったが、「(対決)楽しかったよ!皆さまに自分の足を見せたいだけ、素晴らしい経験だった」と笑い、父譲りの陽気な性格を垣間見せた。
 
 王威晨は、今回の父の訃報を受けてインスタグラムを更新。「ありがとう。ずっと良い先輩、ずっと良いコーチ、ずっと良いお手本、ずっと良い父親」と綴った。台湾野球界の礎を築いた初代打撃王、これからも「萬人迷」として語り継がれていくだろう。
 
 
鄭仲嵐






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