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【高校野球】大阪偕星学園・山本晳監督が明かす「強豪校の倒し方」 元補欠たちと挑む甲子園

昨夏甲子園優勝の大阪桐蔭を大阪府大会準々決勝で破り、初の甲子園出場を決めた大阪偕星学園。波乱万丈の山本晳監督が鍛え上げた選手たちが今日の比叡山高校戦でいよいよ甲子園デビューする。

2015/08/08

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野球に対して貪欲な監督

 僕が山本晳(せき)監督と知り合ったのは、2012年の夏のことだった。『球童 伊良部秀輝伝』という本にとりかかっていた僕に、代理人の団野村が山本を紹介してくれたのだ。

 岡山県生まれの山本は、津山商業から大阪学院大学に進み、卒業後の4年間、伊良部の母校である尽誠学園でコーチを務めていた。その間、谷佳知(現オリックス・バファローズ)をはじめ、4年連続で高校日本代表に選手を送り出していたという。伊良部とは面識はないが、彼を教えた監督、コーチ、同級生たちと繋がりがあった。

 山本とは彼が監督を務める此花学院高校の寮に近い今里で会うことになった。昭和のヘビー級のプロレスラーのような大きな身体の上に赤銅色に日焼けした顔、現場の男という言葉が頭に浮かんだ。少し話をしてすぐに団野村が気に入っているという理由がわかった。野球に対して貪欲で、自分が正しいと思った道を貫くという意思がひしひしと感じられたのだ。
 その夜、尽誠学園で伊良部とバッテリーを組んでいた元捕手、翌日は此花学園の遠征に同行して尽誠学園を訪れ、大河賢二郎監督を始め、多くの関係者に紹介してもらった。

 以降、大阪に行く度、山本監督と酒を飲み、話を聞くようになった。彼は尽誠学園でコーチをした後、大学院進学のためにアメリカのミネソタ州に留学していた。日本の野球だけでなく、アメリカの野球も肌で知っていた。アメリカの強打者は、多少振り遅れてもスイングが速く強いのでボールを前に飛ばせるのだと、彼は太い腕を振って見せた。なるほどと思う話ばかりだった。

 また、プロ野球中継を観ながら、投手の配球を細かく解説してくれることもあった。

――この投手は球は速くない、しかし、このコースに投げることができるからプロになれたのだ

 といった具合だ。

 結局、大学院には進学せず、韓国プロ野球の太平洋ドルフィンズで1年プレーした後、多摩大附属聖ヶ丘高校、倉敷高校の監督となった。

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