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巨人・阿部慎之助、“唯一無二”だった圧倒的な存在感 日本が誇る最強捕手のプロ19年間とは

2019/09/24

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鮮やかに「正捕手」を引き継ぎ1年目から活躍

 読売ジャイアンツの阿部慎之助捕手が現役引退を決断し、24日に球団が発表した。歩んできたプロの道は、悔しさと輝かしい成績とともにチームを支える唯一無二の存在感を放った19年間だった。
 
 阿部は安田学園高(東京)で高校通算38本塁打を放ち、東都大学野球リーグの名門・中央大学でもベストナインに選ばれるなど活躍。2000年にはシドニー五輪(豪州)の日本代表に選出された。
 
 そして同年の秋、ドラフト1位(逆指名)で巨人に入団。その年まで正捕手として活躍していた村田真一氏の後継者として期待された。そしてその期待を背負って初年度から結果を残す。
 
 阪神タイガースとの開幕戦にいきなりスタメン出場すると、プロ初打席初安打初打点をマーク。長嶋茂雄監督(当時)の下127試合に出場し、規定打席には届かなかったものの、打率.225(386打数87安打)、13本塁打、44打点を記録した。
 
 2001年を最後に村田氏が現役を引退し、翌2002年にはいよいよ正捕手に抜擢。前年と同じ127試合の出場ながら自身初めて規定打席に到達し、打率.298、18本塁打、73打点と2年目にして早くも「打てる捕手」を証明した。
 
 この年、シーズン4度のサヨナラ打を記録するなど勝負強さが光り、就任1年目だった原辰徳監督の下で日本一に貢献。オフにベストナイン、ゴールデングラブ賞をそれぞれ初受賞した。
 
 2003年は初めてオールスターに選出されたが、右肩の故障もあって94試合の出場にとどまり打率.303、15本塁打、51打点。なお、この年で原監督が辞任し、チームに貢献しきれなかった正捕手の阿部にとっては悔しいシーズンとなった。
 
 堀内恒夫氏が監督に就任した2004年は、4月に16本塁打と“ロケットスタート”。この年も故障により108試合の出場にとどまった阿部だったが、本塁打数は33本と前年より一気に伸び、打率も.301、78打点と着実に成長の跡を見せた。
 
 プロ5年目の2005年は、自己最多となる130試合に出場し、打率.300、26本塁打、86打点をマークし貢献するも優勝は叶わず。そして、オフに再び監督に就任した原監督と王座奪還を狙うこととなった。
 
 しかし、2006年は129試合に出場しながら4年ぶりに打率3割を切り、本塁打もわずか10、56打点と苦しみ、チームも落合博満監督率いる中日ドラゴンズに優勝を許す結果となる。

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