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D1位・安田に「5」を託したロッテ。最高打率の助っ人にロッテ一筋の天才打者…超高校級にかかる期待値

2017/12/06

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西岡以来の高卒1桁背番号

 千葉ロッテマリーンズは5日、新入団選手会見を行い、背番号を発表。ドラフト1位で入団した安田尚憲内野手(履正社)に、2002年の西岡剛(現阪神)以来となる1桁背番号「5」が与えられた。
 
 ロッテは生え抜き選手の和製大砲が不足しており、21世紀以降に20本塁打以上を放ったのは2003年の堀幸一・福浦和也、2008年の大松尚逸、2009年のサブローの4人のみ。長年、人材不足に悩まされてきた。
 
 しかし、今年入団の安田は高校通算65本塁打を誇り、188センチ95キロと体格にも恵まれている。本拠地のZOZOマリンスタジアムは浜風が強く、打者不利という話も多いが、将来は和製大砲として開花することが期待されている。NPB史上最高の通算打率を記録したレロン・リーやロッテ一筋で右打ちの天才と称された堀幸一も背負った背番号「5」を新人に与えたことから、球団の期待はかなり高いことが窺える。
 
 以下は、ロッテの歴代背番号「5」を背負った選手たちとなる。
 
西本幸雄(1950-1955)
葛城隆雄(1956-1963)
前田益穂(1964-1975)
ジム・ラフィーバー(1976)
レロン・リー(1977-1987)
ビル・マドロック(1988)
高橋慶彦(1990)
堀幸一(1991-2010)
伊志嶺翔大(2011-2016)
マット・ダフィー(2017)
安田尚憲(2018-)
 
 ロッテの背番号「5」を初めて背負ったのは、1950年に30歳でプロ入りを果たし、引退後は指導者として名声を集めた西本幸雄だった。そして、2代目の葛城は1958年・59年に最多安打・打点王のタイトルを獲得する活躍を見せた。
 
 3代目の前田は前任の葛城とのトレードで中日から入団。内野のユーテリティーとして活躍し、意外性のある打撃も持ち合わせて1970年のリーグ制覇、1974年の日本一にも貢献した。
 
 前田の引退後に空白となった5番は来日4年目のラフィーバーが背負ったが、同年限りで引退。しかし、ラフィーバーは後任のレロン・リーを自らの手で入団に導き、メジャー複数球団、中国代表で指導者を歴任するなど、日本に留まらず球界に大きく貢献した。
 
 ラフィーバーの手で日本球界入りしたレロン・リーは、弟・レオンと共に1980年代のロッテ打線をけん引。4000打数以上の選手が対象となる通算打率は.320(4934-1579)を記録しており、これは未だにNPB史上1位となっている。
 
 リーが退団した翌年にはメジャー通算2008安打で首位打者は3回という大物・マドロックが来日し、背番号5を背負う。しかし、37歳という年齢で既にピークを過ぎており、期待外れの成績しか残せず1年で退団となった。その後、1990年にトレードでロッテにした高橋慶彦が背番号「5」を背負ったが、1年で再びトレードとなり阪神へ移籍した。

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