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伊志嶺翔大、「絶対に見返したい」――背番号5との別れで芽生えた決意【マリーンズ通信#37】

オープン戦とはいえ、投打が噛み合っている千葉ロッテマリーンズ。その要因の一つとして、激しいチーム内の競争意識がある。伊志嶺翔大も、1年目のようなガムシャラさで、指揮官に猛アピールを見せている。

2017/03/21

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千葉ロッテマリーンズ



偉大な背番号5の期待に応えられず

 気迫のこもった打球が中前に抜けた。3月19日、ZOZOマリンスタジアムにて行われた東北楽天ゴールデンイーグルスとのオープン戦。0-0の均衡を破ったのはプロ7年目の伊志嶺翔大外野手だった。8回2死二、三塁。追い込まれながらもフルカウントに持ち込むとイーグルスの新外国人フランク・ハーマンの150キロ直球に食らいついた。価値ある2点適時打。執念の一打だった。
 
「ガツガツやらないといけない立場ですから。生き残りをかけて必死にやるだけ。これからも必死に食らいついていくだけ」
 
 試合後も笑顔はなかった。ロッカーに戻った伊志嶺は泥だらけのユニホームを脱ごうとせず、またバットを握りしめた。石垣島での春季キャンプから続けている必死のアピールはまだ終わりではない。今年に賭ける想いが伊志嶺を奮い立たせている。
 
 闘志に火がついた。
 昨年、秋。右足のハムストリングを痛め、ロッテ浦和球場でリハビリを行っていた時のことだ。その日のリハビリメニューを終え、自宅に戻った伊志嶺の元に一本の電話がかかってきた。球団からの背番号変更の打診だった。覚悟はあったが、やはり悔しい通知だった。2010年のドラフト会議でマリーンズから1位指名を受け、入団。期待の表れとして、背番号「5」が用意された。それから6年の時が流れ、愛着のある番号と決別する日が訪れた。
 
「前年まで堀さんがつけていた偉大な番号。そしていろいろな先輩方がつけていたチームを代表する番号。背番号5を誇りに思っていた」
 
 現役通算1827安打を放った堀幸一現打撃コーチが2010年シーズンをもって引退し、バトンを受けるようにその年のドラフトで入団をした伊志嶺に背番号「5」が託された。その気持ちを継ぐように若者は1年目から126試合に出場。32盗塁をマークするなど光り輝いた。順風満帆に見えたプロ野球人生。しかし、そこからは苦難の連続だった。ケガにも悩まされ、思い描いた結果を残すことができなかった。昨年は6月に右ハムストリングを痛めると、治りかかった8月に再発。結果、自己最少の3試合の出場でノーヒットに終わってしまった。 
 
「焦ってしまった。治りかかって、まだ8割ぐらいの状態の時に、またやってしまった。悔やんでも悔やみきれない」

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