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【高校野球】過去は惜敗、逆転負け……春夏通じて3回目決勝進出の仙台育英、悲願の優勝となるか

夏の甲子園、第97回全国高校野球選手権大会は、仙台育英高校と東海大相模高校の決勝になった。ともに決勝戦に進出した経験を持つ強豪校だ。仙台育英は春夏あわせると、今回で3度の決勝進出となったが、過去の対戦を振り返ってみたい。

2015/08/20

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89年は吉岡率いる帝京に涙をのむ

 夏の甲子園、第97回全国高校野球選手権大会は、仙台育英と東海大相模の決勝になった。ともに決勝戦に進出した経験を持つ強豪校だ。

 仙台育英高は1989年夏と、2001年春に決勝戦まで進出したが、いずれも敗退を喫した。
 1989年の夏は、快速球で鳴らした大越基がエースだった。1回戦鹿児島商工を7-4、二回戦京都西を4-0の完封で退け、3回戦弘前工を2-1と勝ち進み、準々決勝では強打の上宮と当たった。

 この春、準々決勝で大越は上宮の4番・元木大介に本塁打を打たれ敗退している。雪辱を期した夏は元木大介、種田仁らの強力打線に9安打を喫しながら10-2で快勝、決勝戦を迎えた。

 勝てば史上初の「深紅の優勝旗の白河の関越え(東北勢優勝)」だった。相手は好投手吉岡雄二を擁する帝京。
 大越と吉岡は一歩も譲らぬ投手戦を演じ0-0のまま延長戦に。しかし10回、安打と四球、バントで一死2、3塁とされた大越は鹿野浩司に左中間適時打を許し、0-2で敗退した。

 試合の間、仙台の町は車の流れが止まり、小中学校も授業を中止して観戦するほどの盛り上がりになったが、「白河の関越え」はならなかった。

 仙台育英の大越は、6試合57回を一人で投げ切り47奪三振。その後早稲田大学、米マイナーを経てダイエーに入団。プロでは投手として大成せず故障などに泣かされたが、野手転向後は代走や守備固めなど貴重な脇役としてチームを支えた。

 上宮の4番・元木大介は、1年浪人して巨人に入団、しぶとい打者として活躍した。種田仁は、中日・横浜で内野手として活躍。個性的な打撃フォームで人気になった。

 89年夏の優勝投手となった帝京・吉岡雄二は、打力を買われて巨人に入団後打者へ転向。イースタンリーグで本塁打と打点王の2冠に輝き、将来を期待されたが、巨人では数字を残せなかった。しかし、97年に近鉄へ移籍すると才能が開花。いてまえ打線の一角として、2001年には近鉄優勝に貢献した。その後選手分配ドラフトで楽天へ。吉岡はすでにベテランだったが「甲子園ではよくも仙台育英を破ってくれたな」という野次を飛ばされたこともあった。なお決勝打の鹿野浩司もロッテに入団するが一軍出場なしでプロ野球人生を終えている。

01年春は常総学院に惜敗

 なお、2001年の春は、海星を4-3、藤代を3-1、市川を9-1、宜野座を7-1で下して決勝に上ったが常総学院に7-6で惜敗した。このときのナインには中谷翼(元広島)、菊池俊夫(元オリックス)などがいたが、傑出した力ではなくチームワークで勝ち上がった。今、巨人にいる矢貫俊之はベンチ入りできず、スタンドから応援した。

 仙台育英にとって決勝戦は3度目(夏は2回目)。そして東北勢初の優勝がかかっている。「深紅の優勝旗の白河の関越え」は成るだろうか。好投手佐藤世那は、どんな投手に成長するだろうか? 楽しみは尽きない。