大谷翔平選手をはじめとした日本人メジャーリーガーを中心にメジャーリーグ・日本プロ野球はもちろん、社会人・大学・高校野球まで幅広いカテゴリーの情報を、多角的な視点で発信する野球専門メディアです。世界的に注目されている情報を数多く発信しています。ベースボールチャンネル



最も多く犠打を決めたのは誰? “バントの神様”の数字は世界記録に…NPB、通算犠打数ランキング1〜5位。【プロ野球歴代最高記録】

2021/05/23

text By



2位:球界屈指の外野守備誇ったスイッチヒッター

平野謙 451犠打(実働期間1981-1996)
生年月日:1955年6月20日
身長/体重:179センチ/78キロ
投打:右投両打
経歴:(犬山高-名古屋商科大-)中日-西武-千葉ロッテ
ドラフト:1977年ドラフト外
 
 主に中日、西武で活躍した平野。俊足と強肩を活かした外野守備は球界屈指の評価を得ているが、打撃でも小技を確実にこなし、歴代2位にランクインした。

 平野は、1977年ドラフト外で投手として中日に入団した。2年目の79年シーズン途中に野手へ転向。中々芽が出なかったが、81年に一軍デビューを飾り、翌82年からは外野の一角を担った。同年は打率.288、20盗塁をマーク。リーグ最多の51犠打を決めた。
 
 以降は、「2番・中堅」に定着したが、87年に故障の影響で90試合出場にとどまると、オフに西武へトレード移籍となった。西武では右翼を主戦場とし、移籍初年度の88年から5年連続リーグ最多犠打を記録。黄金期の一員となった。
 
 タイトルを見ると、中日時代の86年に盗塁王(48盗塁)、西武時代の88年にベストナインを獲得。ゴールデン・グラブ賞の受賞回数は9度(1982、85、86、88〜93年)を数えた。また、94年からの3年間は、ロッテで現役を続けた。

1 2 3 4 5 6