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セイバーメトリクスの視点で見るNPB歴代最強打者ランキング ~21位-30位~

2021/03/05

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DELTA・道作



 

 

怪童・中西太は「太く短いキャリア」で23位に

 21位から30位を占めるメンバーは1940年代から現役の選手まで、広い年代に散ばることとなった。長きにわたって平均以上の活躍をした土井正博のような打者もいれば、短期間に集中して圧倒的な打棒を見せた中西太のようなタイプもいる。また打者の左右もちょうど5人ずつと、バラエティ豊かな顔ぶれになっている。

 21位の土井は近鉄や西武で活躍した選手だ。単年で見た場合、wRAAで一度もリーグ首位にはなっていない。何度かのチャンスは張本勲や加藤秀司らに阻まれた。しかしwRAAで20点以上のシーズンが11回あるなど、長期間にわたって所属チームに利得をもたらし続けた。1961年に入団し、1963年にはすでにオールスターに出場。その後も強打者として鳴らしたが、所属した近鉄、太平洋、クラウンライター、西武では優勝に縁がなかった。1969年には、シーズン最終4連戦で逆転を食らい2位に終わった。引退の翌年にチームが優勝するなどの間の悪さもあり、日本シリーズを経験することはなかった。
 
 22位には中日、ロッテなどで活躍した江藤慎一がランクイン。実は筆者が少年時代にファンだった選手だ。王貞治の三冠王を2度阻止したことで知られている。打撃三冠の獲得は首位打者3回だけとなっているが、巧打者というイメージはまったくない。速い打球速度ゆえにヒットになるような打球が多かった。これは張本勲も同様である。
 
 江藤は全球団から本塁打を放った第1号の選手であるが、引退は交流戦がはじまる30年近く前である。当時はどちらのリーグでも少なくとも2球団に在籍しなければ絶対に達成できないので、レア記録であったのも無理はない。1962-1968年には7年連続wRAA30以上を記録している。所属していた中日でこの記録を超えた選手は、2020年現在生まれていない。
 
 23位には西鉄で活躍した中西太がランクイン。中西は短期間に圧倒的な実績を残した選手である。フル出場はわずか7シーズンにもかかわらず、さまざまな逸話に彩られた伝説的プレーヤーである。ただwRAAのような総合指標よりも、クラシックスタッツである打撃三冠で見たほうが傑出は際立っている。ライバル関係にある山内一弘との比較で、共に中心選手だった1954-1958年の5年間、中西は打撃タイトルを8回獲得し、wRAA257.3。山内は打撃タイトル獲得3回ながら、wRAAは中西を上回る263.5と、面白いコントラストを見せている。ベスト5シーズンのトータルでは歴代11位を記録した。
 

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