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ついに王貞治が登場 セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう~1960年編~

2020/06/27

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Getty Images, DELTA・道作



1960年のパ・リーグ

チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点差
大毎  133 .631 547 433  114
南海  136 .600 519 459  60
西鉄  136 .538 537 467  70
阪急  136 .500 447 473  -26
東映  132 .400 436 492  -56
近鉄  131 .331 408 570  -162
 

 
 「大毎ミサイル打線」が全盛を極め、リーグトップの547得点を記録。10年ぶりの優勝を果たした。ちなみにその間の9年間はすべて南海か西鉄の優勝であった。
 
 この年、大毎打線の能力は圧倒的であった。wRAAで見ても、1位榎本喜八、2位山内和弘、3位田宮謙次郎と大毎の選手で上位を独占しているが、これは史上初の出来事である。ちなみに積算指標のwRAAでは52.3で榎本が1位になっているが、1打席あたりの打撃貢献を示すwOBA(※3)では山内が1位と分かれている。wRAAではない別の総合打撃指標で計算を行った場合も1位は山内になるため、打席数が多いとはいえ榎本が1位となるのは少々意外であった。

 ベスト3の3人はいずれも出塁能力が高く、出塁率の1位~3位もこの3人となっている。ともあれリーグ戦は、飛びぬけた選手を複数抱える大毎を、全体的に粒よりの好選手を配した南海が追うという構図になった。南海はこれまでスター選手を揃えた西鉄とリーグを争ってきたが、ここにきて西鉄と大毎が入れ替わったかたちだ。
 
 4位以下には豊田泰光(西鉄)、野村克也(南海)と常連の名前が入る。そしてこの年、この後15年の長きにわたってリーグ打撃ランキングの中心的存在となる張本勲(東映)がランクインしている。
 
 またランキングとは別の話になるが、この時期のNPBは盗塁の傾向に変化が生まれている。パ・リーグは1950年には1試合平均で1.25個の盗塁が記録されたが、この年には0.66個と半減している。1957年までは、河野旭輝(阪急)が85盗塁を記録するなど、盗塁王が50盗塁以上を記録するのが普通だったが、1958年から3年間は盗塁王ですらすべて30盗塁台。この年もロベルト・バルボンの32盗塁が最多と減少傾向を見せている。
 
 なぜこのような事態となったかというと、まずリーグ全体の打力が向上したというのが一つの理由としてある。盗塁という戦術は進塁が容易になるほど高い成功率がなくては割に合わなくなる。打てる見通しが上がるほど気楽にリスクは負ってはならないのだ。また、バッテリー側の盗塁阻止技術も年々上がったことも関係している。この時期、すでにこの技術を武器にした投手まで存在するほどだ。盗塁のリスクとリターンを考えれば、1950年代前半におけるNPBの企図はあまりにも多すぎた。球団もリスクとリターンを徐々に把握してきたのか、盗塁数及び企図数は漸減の傾向となった。
 
 ベスト10以外で取り上げたのは、354打席で規定打席未満に終わった花井悠(西鉄)。wRAAは13.9。西鉄のベテラン勢が去った後に外野を守り、1年限りの好成績であった。

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