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ヤクルト・高津臣吾監督の現役時代は?――プロ野球12球団監督の選手成績を振り返る

2020/06/08

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高津臣吾の現役時代

 今シーズンからヤクルトの監督に就任した、高津臣吾氏。
 2017年からは同球団の二軍監督を務めており、最下位に終わったチームの再建を託された。
 
 現役時代の高津は、亜細亜大から1990年ドラフト3位でヤクルトに入団。2年間は先発、リリーフ両方で登板していたが、1993年途中からクローザーを任された。同年は56試合(78回1/3)、20セーブ、72奪三振、防御率2.30をマークし、チームのリーグ優勝、日本一に貢献した。
 
 翌1994年には47試合(72回1/3)を投げ、19セーブ、54奪三振、防御率2.86で最優秀救援(現最多セーブ)のタイトルを獲得。1995年にも39試合(48回1/3)を投げ、28セーブ、36奪三振、防御率2.61をマークし、2年ぶりの日本一に大きく貢献した。

 以降も主にクローザーとして2度の日本一を果たし、1993年、1995年も含め、4度胴上げ投手となった。また。1999年には30セーブ、2001年には自己最多となる37セーブを挙げ、最優秀救援のタイトルを獲得した。
 
 そして、2003年には当時のNPB通算セーブ記録を更新。同年も最優秀救援に輝き、オフにはホワイトソックスへメジャー移籍を果たした。
 
 MLBでは2年間プレー。初年度には24試合連続無失点を記録するなど高い安定感を見せた。同年はクローザーも務め、19セーブ、防御率2.31をマークした。翌2004年は開幕から不安定な投球が続き、シーズン途中で自由契約となった。その後、メッツとマイナー契約を結び、メジャーにも昇格したが、同年限りで退団となった。
 
 2006年にヤクルトへ復帰。同年はシーズン途中からクローザーを務め、日米通算300セーブを達成。翌年も開幕からクローザーを務めるも、怪我の影響もあり、自由契約となった。
 
 以降はMLB傘下、韓国、台湾、BCリーグを渡り歩き、2012年限りで引退。22年に渡る現役生活の幕を閉じた。

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