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NPB歴代の首位打者は? 「打率」は試合数も大きく左右、4割打者の登場なるか<1940年代>【プロ野球史を振り返る】

2020/05/05

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1945

公式戦シーズン休止

1946

金田正泰(阪神)
打率.347(105試合438打数152安打)
 
戦後初の首位打者となった金田。全105試合に出場し、リーグ最多の152安打をマークした。土井垣武、藤村富美男らと強力「ダイナマイト打線」を形成し、チーム打率(.288)、チーム安打(1057安打)はリーグトップの数字だった。

1947

大下弘(東急フライヤーズ)
打率.315(117試合435打数137安打)
 
打率、本塁打(17本)の二冠に輝いた大下。前年にも20本塁打を放ち本塁打王に輝いた大下だったが、一方でリーグ断トツの80三振(448打席)と確実性を欠いた。だがこの年は50三振(486打席)と大きく数字を改善させた。

1948

青田昇(読売ジャイアンツ)
打率.306(140試合569打数174安打)
 
首位打者、本塁打王(25本塁打、1位タイ)の二冠に加え、174安打(リーグ1位)、99打点(リーグ3位)と一躍スターの座に上り詰めた青田。「ジャジャ馬」の愛称で知られ、川上哲治らとともに巨人の黄金期を支えた。

1949

小鶴誠(大映スターズ)
打率.361(129試合501打数181安打)
 
1リーグ制最後の年に首位打者に輝いたのは、大映の小鶴。前年に所属した急映フライヤーズから移籍すると、「飛ぶボール(通称:ラビットボール)」の影響もあり、打撃成績が大幅に向上した。
 
 
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【図表】歴代首位打者の一覧はこちら

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