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「バカ野郎!」野村克也監督が激怒した理由。名将に仕えたコーチが語る「参謀」の役割

野球界における参謀の存在意義 “名将の思考”と“今の時代に求められる指導者像”を記した橋上秀樹氏最新刊『常勝チームを作る、最強ミーティング』から野村克也さんとの思い出が語られる「はじめに」を発売に先駆けて公開です。

2020/05/04

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名将にどう仕えるべきか、その果たすべき役割に腐心

 
 楽天のヘッドコーチ退任後は、1年のブランクを経て、BCリーグの新潟で1年 (2011年)、巨人で3年(2012~2014年)、再び楽天で1年(2015年)、西武で3年(2016~2018年)、ヤクルトで1年(2019年)と、気づけば足かけ14年も指導者としてプロ野球界で仕事を続けることができた。これも多くの方々の尽力によるものだと、この場でお礼を述べたい。
 
 私の指導者人生でのターニングポイントは、楽天で野村さんと過ごした4年間、巨人で原辰徳監督の下で指導した3年間、西武で辻発彦監督の下で指導した2年間、それぞれにある。巨人では球界初の戦略コーチとして、3連覇のお手伝いをすることができた。また、この間にWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)でも戦略コーチを務め、世界の大舞台を経験し、西武ではパ・リーグで初めてリーグ優勝を味わえたのは、私にとって貴重な収穫になった。
 
 こうしたプロセスを経た私が、もっとも腐心していたのは、『参謀』が果たすべき役割である。ヘッドコーチも戦略コーチも肩書は違うものの、『参謀』という言葉に当てはまるものだと私は考えているのだが、野球界における参謀とは、どういうスタンスであるべきなのか。
 
 今や球団を広く見渡しても、ヘッドコーチと名のつく人は数多くいる。プロ野球ファンも、監督のそばにいて何やら会話をしている姿を、テレビ越しに見て取れると思うが、「いったい何を話しているんだろう?」と気になる人も多いはずだ。
 
 そこで、本書では、「参謀としてのあり方」、「参謀とはどういう立場であるべきか」などについて、これまで経験してきたエピソードを基に、みなさんにお伝えしていけたらと考えている。今年は新型コロナウイルスの影響で、プロ野球の開幕が無期限の延期となり、野球に限らずさまざまなスポーツ競技に影響を及ぼしている。何かと暗い話題が多い中、 野球界における参謀の存在意義について、あらためて知っていただければ幸いである。
 
 最後になるが、私のプロ野球人生にもっとも影響を与えてくれた、野村克也さんのご冥福を心よりお祈りしたい。
 
 
橋上秀樹(はしがみ・ひでき)
1965年、千葉県船橋市出身。安田学園から1983年ドラフト3位でヤクルトに捕手として入団。野村克也氏がヤクルトに就任して以降は、外野手として一軍に定着。92年、93年、95年のヤクルトのセ・リーグ優勝に貢献した。その後、97年に日本ハム、2000年に阪神と渡り歩きこの年限りで引退。2005年に新設された東北楽天の二軍守備走塁コーチに就任し、シーズン途中からは一軍外野守備コーチに昇格。07年から3年間、野村克也監督の下でヘッドコーチを務めた。2011年にはBCリーグの新潟の監督に就任。チーム初となるチャンピオンシリーズに導いたものの、この年限りで退団。12年から巨人の一軍戦略コーチに就任。巨人の3連覇に貢献した。また、13年3月に開催された第3回WBCでは戦略コーチを務めた。巨人退団後は15年から楽天の一軍ヘッドコーチ、16年からは西武の一軍野手総合コーチ、一軍作戦コーチを務め、18年の西武のパ・リーグ優勝に大きく貢献した。19年は現役を過ごしたヤクルトの二軍野手総合コーチを務めた。2020年より新潟の総合コーチを務める。10年に出版した著書『野村の「監督ミーティング」』(日本文芸社)は、12万部を超えるヒット作となった。
 
 

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