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千葉ロッテマリーンズ、歴代助っ人外国人選手ランキングトップ5<野手編>

2022/12/04

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産経新聞社



第2位 ジョージ・アルトマン

右投左打
外野手
在籍期間 7年 1968〜1974
成績 821試合、打率.314、886安打、193本塁打、599打点、31盗塁
 
 メジャーでの実績も十分なアルトマン。パワーだけでなく、状況に応じた打撃ができ、勝負強さも兼ね備える。野球に真摯に向き合い、不屈の精神を持った選手だ。
 
 アメリカ合衆国出身、身長197センチ、体重92キロ。テネシーA&I州大から、1955年にニグロリーグのカンザスシティ・モナークスでプレー。その後シカゴ・カブスに入団し、59年にメジャーデビューを果たすと、61、62年には2年連続3割・20本をクリアする活躍をみせオールスターゲームにも出場した(61年)。セントルイス・カージナルス、ニューヨーク・メッツでもレギュラーとしてプレーしている。MLB通算成績は、打率.269、832安打、101本塁打、403打点。
 
 日本球界では、1968年に東京オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に入団。現役メジャーリーガーの実力を遺憾なく発揮し、打率.320、34本塁打、100打点の大活躍。打点王とベストナイン(外野手部門)も獲得した。
 
 翌1969年は少々成績を落としたものの9盗塁(1盗塁死)と不振時も懸命にプレー。1970年以降は初年度に劣らぬ成績を残し続けた。71年にはキャリアハイとなる39本塁打、103打点をマークし、wOBAでリーグ1位を記録した。
 
 また、1974年には、当時41歳にして、打率.351、21本塁打、67打点、OPS1.103(出塁率.450+長打率.653)を記録。シーズン途中で大腸がんに倒れ85試合の出場に留まったものの、圧巻の活躍だった。
 

 
 同年限りでロッテを退団すると、翌75年はがんを克服し、阪神タイガースで1年間プレーした。

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