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戦うのではない。ファンのため、選手のために交渉する【事務局長・松原徹氏に聞く、日本プロ野球選手会の実態6】

2004年の球界再編問題の時に、日本のプロ野球選手会の存在を知った野球ファンの方は多くいるのではないだろうか。今回、ノンフィクションライターの田崎健太氏がプロ野球選手会事務局長の松原徹氏へ選手会、そして野球界の抱える様々な問題について取材を行った。6回目はストライキやFAに対して、選手会はどのようにとらえているのかを聞いた。

2015/05/31

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人的補償や、自由契約が逆に選手にとって選択肢を広げる

 選手契約についても選手会は日本的な解釈をしている。
 日本のフリーエージェント制は93年に成立した。現在の規則では、国内FA8年、国外FA9年と決められている。
 しかし――。
 
 本来のフリーエージェントは国内外を問わず、全ての球団と交渉可能になる権利のはずである。それを国内と国外に分ける理論的正当性をはっきりとみつけることは難しい。しかも、国内FAの場合、選手を獲得した球団は、譲渡先の球団に対して〈人的補償〉、〈金銭的補償〉のいずれかが義務づけられている。

 前出のジーン・オルザは、この補償について「FA選手に重りの入ったリュックサックを背負わせるようなものだ」と批判している。
 
 補償制度は選手会として見直すように要求すべきではないかと訊ねると、松原から「人的補償については、選手会では前向きに捉えているんです」という答えが返ってきた。
 
「日本のプロ野球ではFAを除けば、移籍できるのがトレードしかない。しかしトレードというのは双方の選手が釣り合わないと成立しない。そのため、日本では実質的に人材の流動性が非常に低い。各チームに余っている日本人選手はいるんです。しかし、それが活用できない。外国人選手の補強だけではなく、日本人選手の補強を活発に進めるべき」
 
 人的補償はFA選手を獲得した球団が40人のプロテクト枠(現在は28名)を設け、それ以外の選手を移籍元の球団が獲得できるという制度である。
 
「新人選手はプロテクト枠以外でも獲得はできない。だいたいその球団に1年もいれば、自分が次のシーズンでどれぐらい使われるのか理解できる。自分を必要とされている球団に補償で移ることはいいこと。最近は、人的補償で移った選手が成功して、いいイメージにもなっていますし」
 
 2007年、阪神に移籍した新井貴浩の人的補償となった赤松真人は、広島で中心選手となった。同じく2007年に西武に移籍した石井一久の人的補償としてヤクルトに移った福地寿樹なども成功の部類に入るだろう。
 また、野球協約の第92条に規定してある、年俸の〈減額制限〉も流動性の活発化に寄与していると松原は考えている。
 
 92条では、年俸1億円以上の選手は40パーセント、1億円以下の選手は25パーセントの以下の減額制限と決められている。
 ところが――。
 97年、近鉄バファローズの石井浩郎が故障を理由として60パーセントダウンを提示された。提示を拒否した石井は保留選手リストに入れられ、他の球団との交渉が不可能となった。そして、60パーセントのダウンの提示を飲まざるをえなくなった。
 
「現在は、減額制限以上の下げ額を提示した場合は、自由契約となります。つまり他の球団と交渉ができる。かつては他の球団が獲ってくれるかわからないので、不当に低い金額を提示されて泣く泣く受け入れなければならないこともありました。しかし、今は選手会主導で合同トライアウトを実施しています。自由契約になることは逆に可能性が広がることもあるのです」
 
 次回は、松原に年金制度について訊く――。
知っていますか? MLBとNPBの“年金”の歴史【事務局長・松原徹氏に聞く、日本プロ野球選手会の実態7】
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日本プロ野球選手会事務局長
松原徹(まつばら・とおる)
1957年5月、川崎市生まれ。1981年に神奈川大からロッテ・オリオンズ(現千葉ロッテ・マリーンズ)に球団職員として入団。一軍マネージャーなどを務めた後、1988年12月に選手会事務局へ。2000年4月から事務局長。2004年のプロ野球再編問題では、当時のプロ野球選手会の会長であった古田敦也らとともに日本野球機構側と交渉を行った。

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