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DeNAドライチも、ドラフト外戦士の凄さがわかった!? 西武黄金期の礎を築いた松沼兄弟

11月15日にジュンク堂書店池袋本店にて『ドラガイ』出版記念のトークライブが行われた。ゲストとして書籍にも収録されている、松沼博久・雅之兄弟が登場。軽妙な兄弟のトークに、会場は大いに盛り上がった。今回はトークショーの一部を掲載する。

2018/12/07

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原辰徳監督には全力勝負

田崎 東洋大学でも博久さん22勝に対して、雅之さんは39勝。雅之さんのときに東都大学リーグで初優勝しています。雅之さんは大学で化けたんでしょうか。
 
博久 (雅之が選ばれた78年の)日米大学野球をテレビで観ていたんだけれど、カーブが曲がっていないんですよ。本当にほんの少しだけ。それをアメリカの選手たちが打ち損じするんですよ。大したボールじゃないのに、どうして抑えちゃうのかなぁ、なんて思ってました。
 
雅之 あの頃は呼び名がなかったけど、今でいうとカットボールとかツーシームなんですよ。
 
田崎 少しの変化でバッターの芯を外す。
 
博久 (首を捻りながら)真っ直ぐもそんなに速くなかったんだよね。俺の目には135キロぐらいにしか見えなかった(笑い)。
 
雅之 140は出ていたよ(笑い)。
 
田崎 弟の雅之さんから兄、博久さんの投球はどんな風に映っていたんですか?
 
雅之 凄かった。みなさん(現役)晩年の兄ヤンしか知らないかもしれないけれど、昔は帽子を吹っ飛ばしながら、凄い球を投げてました。読売ジャイアンツの原監督は未だに会ったら「兄ヤンは凄かった、(バットに球が)当たらなかったです」って言う。彼は東海大学1年生のとき、兄ヤンのいた東京ガスと練習試合しているんです。
 
博久 (含み笑いしながら)原辰徳って高校生のときから人気あったじゃないですか。東海大学とオープン戦をやることになって、本社に電話していつやるんですかって聞いたのを覚えてますね。それで試合をしたら、ヒョロっとして格好いいんですよ。これは勝負しなきゃ駄目だなと思って、思い切り投げた。三振二つで、3打席目にどん詰まりのゴロ。そのときに手が痺れたのか、その打席で代わったんですよ。あっ、原辰徳ってこういう選手かって(笑い)。
 
田崎 勝ち誇った顔をしていたんですね(笑い)。
 
雅之 (わざとため息をついて)大人げないよね。大学に入ったばかりの選手に思い切り投げるんだから。
 
博久 他のバッターには打たれているんですよ。でも原のときだけは一生懸命投げていた(笑い)。

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