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ロッテ・福浦、打者転向で運をモノにした選手。2000安打達成、次なる期待は“初登板”【小宮山悟の眼】

 千葉ロッテマリーンズの福浦和也内野手がプロ野球史上52人目となる通算2000安打を達成した。かつてチームメイトとしてともにプレーした小宮山悟氏が当時を振り返り、記録達成に祝福を送った。

2018/09/27

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我慢の起用が結実、抜群の一塁守備

 打者に転向した福浦だが、ここまでたどり着くには相当な苦労があっただろう。1軍昇格をつかんだのは1997年。この昇格の際も福浦に運があったと言える。当時の2軍監督が福浦の打者転向を後押しした山本功児さんだった。そのため、1軍に推薦しやすかったのだろう。
 
 そして、一塁手として試合に出場しながらキャリアを積んだ。最初は頼りなかったが、監督たちが我慢して起用を続けたため、ある程度の結果を出してレギュラーとして扱われるようになっていった。
 
 私はともにプレーした際、一度だけ試合中に福浦に声を荒げたことがある。ファウルフライが上がったとき、風が強い球場であることがわかっているはずなのにもたもたして何とか掴むというプレーだった。その様子があまりにも滑稽で怒ったことがあった。
 
 しかし、福浦のファーストの守備は抜群だった。特に送球を受けるハンドリングには安心感があり、守備に就いていた他の選手はやりやすかっただろう。手の届くところのボールはほとんどカバーしてくれていた。ボールを捉えるのがうまい選手は、捕球にも長けているものだ。
 
 バットコントロールの良さが評価され、レギュラーの地位を確立した福浦。私はロッテを離れ、メジャーを経て再びロッテに戻ったとき、チームの中心選手となっていて実に感慨深いものがあった。
 
 ロッテが米・アリゾナでキャンプを行っていたころを振り返ると、チーム全員が参加して二人一組の部屋の割り当てられるのに、福浦だけが裏方と同部屋ということがあった。それを受けて、今年がダメなら翌年から裏方じゃないかという言われ方をされたこともあった。
 
 それが2000安打を達成する選手にまでなった。22日の試合は、最後の打席で結果を残した。2003年にはシーズン最多二塁打50本、02年から3年連続で40二塁打以上をマークしたことがある選手のため、記録達成の1本が二塁打だったのは印象的だ。

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