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石毛博史、ドラフト外の肖像#2 両親の薦める社会人野球を断って……ドラガイから巨人のストッパーへ

日本プロ野球では1965年にドラフト制度導入後も、ドラフト会議で指名されなかった選手を対象にスカウトなどの球団関係者が対象選手と直接交渉して入団させる「ドラフト外入団」が認められていた。本連載ではそんな「ドラフト外」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。

2018/08/15

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田崎健太

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嬉しくて仕方がなかった初登板

 翌91年シーズン前、石毛は一軍キャンプに呼ばれている。背番号は「59」に代わった。キャンプの後のオープン戦も無難に抑え、開幕を一軍で迎えることになった。
 
 4月18日、ジャイアンツは東京ドームに大洋ホエールズを迎えた。先発はジャイアンツが香田勲男、ホエールズが中山裕章で始まった。香田の立ち上がりは良かった。3回まで無失点。しかし、4回に走者を二人置いて本塁打を浴びて逆転された。さらに5回にも本塁打を浴びてマウンドを降りた。
 
 そして6回から石毛がマウンドに上がることになった。
 
「負けていて、敗戦処理なんですけれど、初登板の場面を(監督だった)藤田(元司)さんが作ってくださった。もうブルペンで震えちゃって、ブルペンからベンチ裏まで行くのに、結構距離があるんですよ。歩いて行く途中、どうしょう、どうしょうってなっていました」
 
 ところが、ベンチからグラウンドに足を踏み入れた途端、すっと緊張が解けたのが自分でも分かった。
 
「うわーっ、こんなところで投げられるって、逆に楽しくなっちゃって。ランナーズハイじゃないですけれど、緊張していたのが、振り切っちゃったんでしょうね。(観客席の)声援も聞こえるし、顔も見える。不思議な感覚でしたね。負けているんだけれど、マウンドに立てることが嬉しくて仕方がなかった」
 
 このシーズンは23試合に登板し、0勝1敗1セーブ、防御率3.03という記録だった。
 
 
3回目は、8月16日更新予定です。
石毛博史、ドラフト外の肖像#1――ドラフトで問題視、野球人生を左右させた伸びない肘
 
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石毛 博史(いしげ・ひろし)
1970年7月13日、千葉県出身。市立銚子高校で甲子園出場は叶わず。卒業後は社会人野球の住友金属鹿島に内定していたが一転、88年オフにドラフト外で読売ジャイアンツに入団する。藤田元司監督の下で92年に52試合に登板、5勝3敗16セーブ、防御率1.32の好成績を残しリリーフとして地位を確立する。長嶋茂雄監督が就任した93年には30セーブを挙げ、最優秀救援投手のタイトルを獲得した。95年以降は思うような結果が残せず、97年にトレードで近鉄バファローズへ移籍。先発転向するも、その後は再びリリーフとして2001年のリーグ優勝に貢献した。03年からは阪神タイガースでプレーし、05年に現役引退。関西独立リーグの大阪ゴールドビリケーンズ投手コーチなどを経て、現在は富山県の『バンディッツヤング』という少年野球チームで指導を行っている。

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