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契約更改の裏側。1人の選手に球団は複数人…鍵握る交渉能力の有無。定着進まぬ代理人制度【小宮山悟の眼】

ストーブリーグではフリーエージェント(FA)移籍など選手の去就が注目されるが、もうひとつ契約更改という選手にとって重要な時期でもある。私は現役時代、球団との交渉についてメディアに取り上げられることが多かった。今回は私の経験を交えながら、契約交渉について話したい。

2017/11/24

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定着進まぬ代理人制度

 1990年代に入ってから日本のプロ野球でも代理人交渉制度がスタートした。
 
 選手契約時には選手と球団職員の同席を義務付けていた中で、代理人制度の導入は長らく認められていなかったが、世の中の流れも手伝って、代理人交渉制度が運用されるようになった。しかし、1970年代に代理人制度が定着していた米国のシステムとは異なる。
 
 米国の場合、代理人は20~30人の選手と契約している場合がある。この場合、代理人は複数の球団と交渉を当時に進めるため、球団の契約内容を比較しながら交渉に臨むことができる。「あの球団はこの選手に対してこういう条件を提示している」と判断基準を得ることができるのだ。
 
 しかし、日本の場合は一人の代理人が複数の選手と契約することを禁じている。代理人が幅広く情報を得るのを恐れているのか、クライアントは一人だけという制度になっている。
 
 実際は代理人がいる方が交渉はドライにできるので、選手にとってメリットがある。しかし、経営が圧迫されてしまう球団が出てくることも否定できないので、米国のように簡単には定着しないだろう。私自身もフリーエージェント(FA)権利を取得する年、代理人を立てようとしたがうまくいかず、自由契約になった経験がある。
 
 契約交渉は、球団側には「年俸を抑えたい」、対する選手側は「少しでも多く」という思いがあるのは間違いない。しかし、重要なのは金額の多寡だけではない。球団も選手も「翌年のシーズンにいい気持で野球がしたい」というのが本音だろう。
 
 
小宮山悟(こみやま・さとる)
 
1965年、千葉県生まれ。早稲田大学を経て、89年ドラフト1位でロッテ・オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)へ入団。精度の高い制球力を武器に1年目から先発ローテーション入りを果たすと、以降、千葉ロッテのエースとして活躍した。00年、横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)へ移籍。02年はボビー・バレンタイン監督率いるニューヨーク・メッツでプレーした。04年に古巣・千葉ロッテへ復帰、09年に現役を引退した。現在は、野球解説者、野球評論家、Jリーグの理事も務める。

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