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元阪神・林威助、引退を決断。黄色と黒に彩られた日本と台湾での15年間

元阪神タイガースで、台湾プロ野球の中信兄弟でプレーする林威助外野手が今季限りでの引退を表明した。現在、開催されている2軍優勝決定シリーズの後、そのユニホームを脱ぐ。

2017/09/29

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中華職業棒球連盟

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高校野球留学の礎を築いた林

 現在、日本で台湾出身の野球選手と言えば、陽岱鋼(読売ジャイアンツ)の名前が真っ先に挙がるだろう。しかし、かつては日本で結果を残してきた台湾出身者は投手が多かった。
 
 80年代には「二郭一荘」を称された郭源治(元中日)、郭泰源(元西武)、荘勝雄(元ロッテ)の3投手が日本球界で成功を収めた。打者として活躍した選手は少なく、大豊泰昭(元中日、阪神)が台湾ファンの誇りだった。
 
 大豊は14年間のプロ生活で277本塁打を記録し、2002年に引退。入れ替わるように日本球界入りしたのが林だった。
 
 林は、台湾人の日本への高校野球留学の礎を築いたと言っても過言ではないだろう。彼の後、林の後、陽耀華(陽岱鋼の兄)、陽岱鋼や李杜軒陽ら、多くの中学生が野球を学ぶために日本へ渡った。
  
 もともと物静かな性格の林だが、日本の野球教育を受け、そこに礼儀正しさや穏やかさが加わった。来日当初は拙かった日本語も次第に上達し、その人柄でファンを魅了した。当時、台湾メディアの取材を受けた際、すっかり日本になじんで中国語での返答が遅れたというエピソードまである。
 
 2008年以降、林はひざのけがでレギュラーから遠ざかり、代打での出場が多くなった。年齢的にも30代を迎え、体の衰えは避けられなかった。12、13年シーズンはほぼ結果が出ず、13年オフに戦力外通告を受けた。
 
 そして、祖国・台湾のプロ野球界に舞台を移した。ベテランでもドラフト会議に参加し、3位指名で中信兄弟へ入団した。14年シーズンはけがの影響でわずか100打席19安打に終わった。15、16年は一時レギュラーとして出場したが、チームの若返りによって、打撃の機会は減っていった。
 
 今季は2軍からのスタート。1軍の出場成績は16打席2安打で、ついに引退を決意した。本人はフェイスブックに「15年間のプロ野球生活は順調ではなかったかもしれないが、甲子園球場で台湾のファン、台湾の球場で日本のファンの応援の声を聞き、いつも勇気をもらった。両国のファンがいなければ、今の私はいなかった」と感謝をつづった。
 
 林は「後輩を育てたい」という思いから、指導者の道へ進むという。具体的な進路はまだ明らかではないが、「野球紳士」としての姿と笑顔はファンの心にずっと残る。今後も日本と台湾の両球界の架け橋として、「一球撃命」の姿勢を後輩に伝えていくのだろう。

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