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新庄、稲葉、森本…”伝説の日ハム外野トリオ”は何が違ったのか? 稀哲氏が語る最強の外野守備とは

1998年のドラフト4位で、内野手として日本ハムファイターズに入団した森本稀哲氏。だが入団後はかなり早い段階で外野手にコンバートし、新庄剛志氏と稲葉篤紀氏の3人で“鉄壁の外野手”を築き上げ、ゴールデングラブ賞、ベストナインなど数々の賞を総なめにしてきた。現代のプロ野球でもチーム事情によりコンバートする選手は少なくないが、そのタイミングはいつか、また、“鉄壁の外野手”と呼ばれていた時代の思い出話を聞いてみた。

2017/06/28

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工藤明日香



コンバートのタイミングは双方が了承した時点

――森本さんはかなり早い段階で内野から外野にコンバートされましたが、転向は早い方がいいと思われますか。
 
森本:これは微妙ですね…。例えば現阪神の糸井嘉男外野手なんかはピッチャーで入りましたけど、大学時代にはリーグMVP・最優秀投手・ベストナインとタイトルを総なめ。あそこまでやり切ったからこそ、野手に転向しようと踏ん切りがついたのかもしれない。でもそこでね、ピッチャーとしてドラフト1位で入ってすぐに野手にできるかって言ったら、そこはやっぱり難しいところじゃないかなあと思いますね。
 
――もし今後、指導者になられたとき、選手に転向を勧めようと思いますか。
 
森本:もちろん。適正をいかに早く見つけるかどうかも大事ですけど、やっぱり本人が納得しているかどうかのほうが大事だと思うんですよね。最近はそう言ったことも含めて、少し考えたりもしていますね。
 
――どのタイミングで勧めるのが良いですかね。
 
森本:どこかで絶妙なタイミングがあるんでしょうね。一番いいのは、本人とチームスタッフの両者が納得できるときじゃないですか。結局、コンバートはチームのためにするので。「この選手はこのポジションにした方が伸びるのでは」といった可能性が出てくれば、その後のチームにとっても良いことじゃないですか。もちろん本人のためでもありますが、忘れちゃいけないのは、本人の考え方がブレることなく続けることだと思っていますね。
 
――近年よくあるのが、内野を守っていたが他の選手にポジションを奪われてしまい外野手に転向。しかし、そこでも同様の状況になり再び内野手にコンバートする。そんな風にチームの方針に振り回される選手がちらほら見受けられます。
 
チームのためには仕方がないとしか言えないですね。とは言え、それで結局選手がつぶれたらチームにも責任はあると思います。ただ、世間のサラリーマンも同じだと思いますが「俺はずっと内野でやってきたんだ」の一点張りでほかのポジションをやらないというのは困るじゃないですか。
 
「営業に異動」という人事に対して「俺は営業じゃなくて事務作業のほうがあっているから行きません」なんて言ったら…。融通を利かせてくれる選手のほうがチームとしてはすごく助かるのは確か。だけど大事なのはその選手が本当にそれでつぶれずにチームの戦力として生きていくかどうか。それを球団は大事にしないといけないんじゃないかなと思います。
 
――それを生かすように、フロントはうまくやらないといけない。
 
森本:その責任はありますよね。もし、うまくいかなかったときに、フロントとしてもある程度は責任取るべきじゃないかな。
 
 
 次回は、森本稀哲氏が期待する現役選手とその理由についてお話いただきます。
 
 
森本稀哲(もりもと ひちょり)
 
高校野球の名門・帝京高校の主将として甲子園に出場。
1999年ドラフト4位で日本ハムファイターズに入団。
2006年には1番レフトとして活躍、チームを日本一に導く。
2011年横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)移籍。
2014年埼玉西武ライオンズへテスト入団。
現在は、経営コンサルティングを手掛ける『CKPLAT』に所属。
野球解説やタレントのほか、ビジネス関係の講演も行っている。

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