大谷翔平選手をはじめとした日本人メジャーリーガーを中心にメジャーリーグ・日本プロ野球はもちろん、社会人・大学・高校野球まで幅広いカテゴリーの情報を、多角的な視点で発信する野球専門メディアです。世界的に注目されている情報を数多く発信しています。ベースボールチャンネル



一本足打法の生みの師、「野武士軍団」を支えたスラッガー、カープ名スカウトら……16年、天国に旅立った元プロ野球選手

2016年、残念ながらこの世を去った名選手、名指導者らがいる。改めて、その方々のご冥福を祈るとともに、球界での功績を振り返りたい。

2016/12/20

text By

photo

Getty Images



代打安打数日本記録の宮川、初代「ミスターカープ」も天国へ

 今季25年ぶりにリーグ優勝を遂げた広島東洋カープOBの2人も天国へと旅立った。宮川孝雄と山本一義だ。

 60~74年まで15年間、カープ一筋でプレーした宮川は代打安打数日本歴代トップとなる187本を記録している。そんな「代打の切り札」としての足跡だけでなく、引退後の75年からはスカウトとして活躍。通算213勝を挙げた北別府学や、炎のストッパーこと津田恒実、現カープ監督の緒方孝市、前田智徳らを発掘した。

 初代「ミスターカープ」こと山本一義は、61~75年まで15年間カープでプレー。通算安打数1308本、171本塁打、655打点を記録。2度のベストナイン、5度のオールスターゲーム出場を果たしている。

 75年の初優勝を最後に引退し、その後は広島や近鉄バファローズのコーチなどを務め、82、83年にはロッテオリオンズの監督として指揮を執った。カープ低迷期を支えた4番打者は、今季の優勝(9月10日)を見届けてから亡くなった。

 75年ドラフト5位で巨人に入団した山本功児。当時、巨人の一塁には王貞治がいたため、控え選手だった。それでも代打で結果を残し、4番を務めたこともあった。一塁の守備は堅実で、ロッテに移籍した84年と翌85年にはダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を獲得している。

 84年は初の規定打席に到達。125試合に出場して打率.301、10本塁打、66打点の成績を残した。88年オフに引退し、89年からロッテで打撃コーチを務めたあと、97、98年にロッテの2軍監督、99~03年には1軍監督として指揮した。

 打撃指導に定評のあった山本は、巨人ではヘッド兼打撃コーチも務めた。04年は2軍、05年には1軍で選手を指導。また、息子である山本武白志(むさし)は、昨オフのドラフト会議で横浜DeNAベイスターズに育成枠で指名された。1軍でのプレーを見ることができずに64歳の若さで亡くなったが、天国から息子の活躍を見守っていくに違いない。

 肝不全のため41歳の若さでこの世を去った、左腕投手・安達智次郎。92年オフのドラフト会議で阪神タイガースに1位指名され入団。村野工時代の91年夏と92年の春に甲子園に出場したが、プロでは1軍のマウンドを踏むことができずに、99年に引退。その後は阪神の打撃投手などを務め、神戸の三宮で飲食店を経営。第二の人生をスタートさせていたが、帰らぬ人となってしまった。

 現役時代は熱いプレーでファンを魅了し、引退後は後進の育成に尽力した男たち。彼らの魂は受け継がれ、これからも球界に新たな伝説が生まれていく。

1 2