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一本足打法の生みの師、「野武士軍団」を支えたスラッガー、カープ名スカウトら……16年、天国に旅立った元プロ野球選手

2016年、残念ながらこの世を去った名選手、名指導者らがいる。改めて、その方々のご冥福を祈るとともに、球界での功績を振り返りたい。

2016/12/20

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王貞治の恩師・荒川博、西鉄の黄金期の遊撃手・豊田も逝く

 FAや新外国人選手の補強、新人選手の入団発表など…シーズンオフも目が離せないプロ野球。17年は3月にWBCも開催されるだけに、来季はレギュラーシーズン以外での注目度も増す。

 しかし、残念ながらその行く末を見守ることなく、今年、天国へと旅立ってしまった元プロ野球選手たちがいる。そんな名選手、名指導者の方々の足跡を改めて振り返ってみたい。

 下記、年代順で成績は生涯成績だ(敬称略)。

荒川博(毎日~大毎)
53~61年 802試合 打率.251 16本塁打 172打点

豊田泰光(西鉄~国鉄~サンケイ~アトムズ)
53~69年 1814試合 打率.277 263本塁打 888打点

宮川孝雄(広島)※後に「村上」と改姓
60~74年 889試合 打率.276 11本塁打 149打点

山本一義(広島)
61~75年 1594試合 打率.270 171本塁打 655打点

山本功児(巨人~ロッテ)
76~88年 1217試合 打率.277 64本塁打 369打点

安達智次郎(阪神)
93~99年 1軍登板なし

 86歳で亡くなった荒川博。元巨人の打撃コーチで、通算868本のアーチを描いた王貞治の「一本足打法」は、彼の指導なくしてはあり得なかった。現役時代は毎日オリオンズ~毎日大映オリオンズ(現ロッテ)で左打ちの外野手としてプレーし、通算安打数は503本。プロ1年目の53年にはオールスターゲームにも出場している。

 引退後、読売ジャイアンツでは9年間(62~70年)コーチを務めた。その後、ヤクルトアトムズで打撃コーチ(73年途中)と監督(74~76年途中)も経験。王の他、「安打製造機」の榎本喜八、黒江透修らを育て、長嶋茂雄にも指導を行った。多くの球界関係者が、名伯楽と呼ばれた男との最後の別れを惜しんだ。

 荒川とプロ同期だった豊田泰光は、1年目の53年から西鉄ライオンズの遊撃手のレギュラーの座をつかみ、打率.281、27本塁打、59打点の成績を挙げて新人王に輝く。27本塁打は当時の高卒新人最多記録(86年に西武・清原和博が31本で更新)である。

 稲尾和久や中西太ら「野武士軍団」の一員として、西鉄の黄金期を支えた一人。56年にはその中西と激しいデッドヒートの末、打率.325で首位打者のタイトルを獲得。歴代の遊撃手で首位打者となったのは、54年のラリー・レインズ(阪急)、10年の西岡剛(ロッテ)、16年の坂本勇人(巨人)だけしかいない。

 62年は西鉄で助監督を兼任。63~69年の引退まで国鉄~サンケイスワローズ~サンケイアトムズ~アトムズ(現ヤクルト)でプレーした。68年の8月24、25日の中日戦(神宮)では、2試合連続代打でのサヨナラ本塁打を、2本とも同じ山中巽から放っている。

 69年に引退した後は72年に近鉄の打撃コーチに就任。解説者としても辛口の評論で人気を博した。06年には野球殿堂入りも果たしている。

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