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的場寛一、ドラフト1位の肖像#3――「2005年、怪我の本当の理由。僕はこれでプロ野球人生を終えた」

1999年ドラフト1位(逆指名)で阪神タイガースに入団した的場寛一は、将来を嘱望される期待の大型遊撃手だった。しかしプロ入りの野球人生は試練の連続だった。(2016年12月3日配信分、再掲載)

2020/04/13

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田崎健太



2005年、怪我の理由

 そして、翌2005年3月9日、東北楽天ゴールデンイーグルスとのオープン戦――。的場は九番レフトとして先発出場している。
 
「あの年はキャンプから好調で、岡田監督も〝(外野は)寛一で行こう〟と言ってくれていたんです。あの日、チャンスでタコったんです。ぼくみたいな選手は毎日オープン戦でヒットとか打って活躍せな、一軍に残れないと思っていたんです。2005年は優勝を狙えるチームでしたから」
 
 この日、的場は3打数0安打、一つの三振という成績だった。
 
「ぼく、こう見えて短気なんです。自分に対してむかついて、グラブをバーンって投げたら肩が外れた。肩を脱臼してしまって、それでアウト。ぼくの野球人生は終わりました」
 
 翌日の記事ではグローブを投げて肩を脱臼したことは伏せられていた。
 
阪神・的場寛一外野手(27)の開幕一軍入りが絶望的となった。9日の楽天戦の9回、レフト線の打球を処理し、二塁へ送球した際に右肩を痛めた。試合後、宝塚市内の病院で検査の結果「右肩関節唇損傷」の診断を受けた。(中略)平田ヘッドコーチも「開幕一軍に入る勢いだっただけに残念」と無念の表情。キャンプから好調で、貴重な右の外野手として開幕一軍をほぼ手中に収めていたが、昨年に続くオープン戦途中でのリタイアとなった〉(2005年3月11日付「デイリースポーツ」)
 
 このシーズンの阪神は、プロ入り2年目の鳥谷敬を二番遊撃手に固定。一番の赤星憲広から始まる、鳥谷、アンディ・シーツ、金本、今岡誠という打線は破壊力があった。それを藤川球児、ジェフ・ウィリアムス、久保田智之の〝JFK〟が締めた。
 
 2005年9月29日、阪神は甲子園での読売ジャイアンツ戦でセリーグ優勝を決めている。
 的場はその試合を自宅のテレビで見ていた。
 
「阪神の優勝が近づき、家族は見て見ぬ振りをしてました。でも、この試合は見ておこうと思って、テレビをつけてました。自分の知っている選手ばかりではあるんですけれど、なんか違うチームを見ているような感じでした」
 
 そして10月5日、戦力外通告を受けた。実働3シーズン、49打数7安打という成績だった。
 
的場寛一、ドラフト1位の肖像#4――「ぼくは出過ぎた杭になれなかった。実力がなかった」
 
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